COSMOS さんのプロフィール
ギャラリー作品一覧
No | 3511 |
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作品名 | 滋賀県のアンテナショツプ |
説明 | 滋賀県といえば近江牛に延暦寺、そして琵琶湖に信楽焼きですね。 有楽町にある「ゆめぷらざ滋賀」です。 一見観光案内所みたいですが、県内の観光パンフレットを集めた「観光コーナー」、赤こんにゃくや鮒寿し、ひこにゃんグッズなど、郷土色豊かな特産品を展示・販売する「特産品コー ナー」があります。 歴史の舞台に度々登場した地名や社寺は数多くある滋賀県です。 次は京都府です。 |
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No | 3512 |
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作品名 | 小金井小次郎追悼碑 |
説明 | 小金井市にある小金井小次郎追悼碑です。 小金井小次郎は幕末の文政・天保のころの侠客で、新門辰五郎の兄弟分ともいわれ、関東一円に三千人の子分を抱えた大親分だったそうです。 生涯の内、関八州取締に二回捕まり、一回目は佃島の牢送り、二回目は三宅島に流罪となったとか。 清水の次郎長とも交流があったといわれ、山岡鉄舟筆で高さのある追悼碑がありました |
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No | 3513 |
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作品名 | 三重県のアンテナショツプ |
説明 | 三重県といえば松阪牛に赤福餅と伊勢神宮ですね。 日本橋にある「三重テラス」です。 三重の「食」「風土」「歴史」「伝統」「文化」など様々な魅力を伝える約1100商品を販売しています。 「日本書紀」に “満足すべき美しい国”を意味する「美(うま)し国」と記されている三重県だそうです。 次は滋賀県です。 |
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No | 3514 |
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作品名 | 寛文六年銘庚申塔 |
説明 | 小金井市にある寛文六年(1666)銘庚申塔です。 庚申塔の主尊が地蔵であるのは、比較的古い時期に見られるそうですが、多摩地域でも数少なく、珍しいものだそうです。 庚申信仰は六十日ごとに巡ってくる庚申(かのえのさる)の日の夜に講中と呼ばれる信仰を同じくする仲間同志が飲食を供にしながら、眠らずに一夜を過ごす風習で、庚申塔は、講中によって供養のため建てられものです。 |
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No | 3515 |
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作品名 | 静岡県のアンテナショツプ |
説明 | 静岡といえばお茶に鰻に伊豆の踊り子ですね。 有楽町にある「静岡県東京観光案内所しずおかプラザ」です。 ショツプというより観光案内所です。 常時4〜5種類のお茶とお菓子が用意されているそうです。 ちょっと立ち寄りたいすてきな空間だそうですがお茶とお菓子で400円だそうです。アンテナショツプは目黒区にあるらしいのですが、行く用事がありませんので…。 次は愛知県ですがありませんので三重県です。 |
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No | 3516 |
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作品名 | 長野県のアンテナショツプ |
説明 | 長野県といえばりんごに野沢菜そして善光寺に軽井沢です。 銀座にある「銀座NAGANO 」です。 信州の生ビールやワインもそろえてありました。 2階には手打ちそば、山菜料理もありおいしそうでした。 次は岐阜県ですが、六本木にあった店を閉店をして現在はありませんので静岡県です。 |
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No | 3517 |
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作品名 | 石臼塚 |
説明 | 小金井市にある石臼塚です。 石臼塚は昭和48年生活用具であった臼を一同に集めたものです。 全国には筆塚、針塚は数多くありますが、石臼塚はここだけだそうです。 石臼は、いつとはなしに一つ二つ姿を消すありさまに、心ある人々はこの里に残る全てを集めて塚を造ったそうです。 |
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No | 3518 |
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作品名 | 金井原古戦場跡 |
説明 | 小金井市にある金井原古戦場跡です。 南北朝時代(1352)南朝方の新田義貞の子義宗・善興が足利尊氏と戦ったそうです。 世にいう武蔵野合戦です。 20万騎に及ぶ大軍勢が戦いを繰り広げ、足利軍が敗走したそうです。 都史跡に指定され碑が建立されました。 |
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No | 3519 |
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作品名 | 山梨県のアンテナショツプ |
説明 | 山梨県といえばぶどうにほうとうにおいしいワイン、武田信玄に冨士五湖ですね。 日本橋にある「富士の国やまなし館」です。 山梨の魅力を紹介する情報総合館、「ワイン販売・試飲カウンター」がありました。 昼からアルコールはとらない主義なので試飲はしませんでした。 次は長野県です。 |
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No | 3520 |
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作品名 | ハケ |
説明 | 東京都の西部地区は、武蔵野台地から沖積層低地へ移るところに位置しており、この傾斜地は古代多摩川が南へ移っていった途中作った古い段丘の一つで、国分寺崖線と呼ばれ、崖下からは豊かな地下水が湧き出て、これを一般にハケと呼ばれています。 ハケには随所に涌水がみられ、この涌水を集めて流れる野川は、世田谷区で多摩川に注いでいます。 |
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