COSMOS さんのプロフィール
- 2024/05/07 みさき
- こんにちは。短歌「そんな気が…」に拍手を有難うございました。気が付けば5月。緑が日々濃くなっております。4月のブログにも拍手をいただき、感謝です。
- 2024/05/07 四つ葉
- 植物たちの「香り」の秘密とワンプレートと器を変えて散らし寿司の盛り付け‥♪に拍手ありがとうございます。散らし寿司沢山作り昼夕飯と食べました。器を変えるだけで変わりました。
- 2024/05/06 黒部
- COSMOSさん こんにちは。「連休最終日の潮干狩り場」に拍手をありがとうございます。子供のはしゃぎ声があちこちから聞こえて来ますが、私は一人もくもくと潮干狩りに専念していました(笑)
- 2024/05/06 四つ葉
- 今日から立夏とシニアも嬉しい子ども日限定モーニング‥♪に拍手ありがとうございます。カフェのモーニングが鯉のぼりトーストピザになっていて美味しく頂きました。
ギャラリー作品一覧
No | 3461 |
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作品名 | 東京の公園 |
説明 | 新宿区にある四谷見附公園です。 赤坂迎賓館の正面西手、四谷中学校と学習院初等科との間にある公園です。 明治からの宮内省用地で大正10年に赤坂離宮前記念公園として当時の東京市に委託管理・開園されたものだそうです。 大きな木の陰が、みどり豊かな安らぎの空間を演出している公園です。 |
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No | 3462 |
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作品名 | 新田義貞公之像 |
説明 | 府中市分倍河原駅前のロータリーにある『新田義貞公之像』です。 「分倍河原の合戦」で勝利をおさめた新田軍は一気に鎌倉幕府を攻め落し、ついに140年余り続いた鎌倉幕府を滅亡させました。 |
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No | 3463 |
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作品名 | 三千人塚 |
説明 | 府中市にある三千人塚です。 分倍河原の合戦で亡くなった三千人の戦死者を埋葬したという伝承のある塚ですが近年の調査で江戸時代に造られたものであることがわかったそうです。 三千人塚は、鎌倉時代から室町時代の在地の有力者一族による小さな塚(墓)の点在した場所が、江戸時代には信仰の対象となり、地元の文化財として今日まで大切にされてきたといえるそうです。 |
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No | 3464 |
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作品名 | 東京の公園 |
説明 | 新宿区にある新宿中央公園です。 東京都庁を始め、高層ビル群の中に、大都会のオアシスとして多くの人々に親しまれている、緑豊かな公園で新宿区立の公園としては最大の面積を誇る都市公園です。 かつて淀橋浄水場だった場所に昭和43年開園しました。 |
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No | 3465 |
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作品名 | 分倍河原古戦場 |
説明 | 府中市にある分倍(ぶばい)河原古戦場跡です。 新田義貞は執権北条高時を鎌倉に攻めるため、兵を率いて攻めいりました。 北条方は分倍に陣を敷き、北条泰家を総帥として新田勢を迎撃したそうです。 新田勢は敗れて敗走しましたが、相模の豪族が多く協力し再び分倍の北条勢を急襲し、これを破って一路鎌倉を攻め鎌倉幕府は滅亡したといいます。 |
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No | 3466 |
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作品名 | 東京の公園 |
説明 | 新宿区にある戸山公園です。 江戸時代には尾張藩徳川家の下屋敷であったところです。 明治維新後、陸軍戸山学校が開かれ、陸軍軍医学校、陸軍の練兵場などに利用されたそうです。 戦後公園として整備し、「戸山公園」として開園しました。 ここにある箱根山は都内有数の心霊スポットという一面もあります。 毎夜、誰かが泣き叫ぶ声が聞こえるなど、地面の下には陸軍学校時代の銃弾が多数埋まっているそうです。 |
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No | 3467 |
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作品名 | 大宰府の梅 |
説明 | 府中市にある大宰府の梅です。 菅原道真の和歌に由来する「飛梅」を御神木とする大宰府天満宮より寄贈を受けた梅の木だそうです。 「東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」 菅原道真といえばこの和歌を思い出します。 |
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No | 3468 |
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作品名 | 水車小屋 |
説明 | 府中市にある水車小屋です。 かつて武蔵野地方に広く見られた水車を復元(新築)したものだそうです。 小屋の内部には,石臼1基,竪杵(たてぎね)3基が備えられ、製粉や精米・ワラ打ちなどができる仕組みとなっているとか。 |
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No | 3469 |
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作品名 | 東京の公園 |
説明 | 新宿区にある甘泉園公園(かんせんえんこうえん)です。 徳川御三卿の一つ・清水家の下屋敷があったところで、屋敷にあった回遊式の大名庭園だったそうです。 湧き水がお茶に適して評判であったことから、「甘泉園」と呼ばれていたとか。 名の由来となった湧き水は枯れていますが、現在でも大名屋敷の回遊式庭園の面影を多分に残した日本庭園を主体とした公園となっています。 |
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No | 3470 |
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作品名 | 東京の公園 |
説明 | 港区にある国立科学博物館附属自然教育園です。 江戸時代には高松藩主松平頼重の下屋敷、明治時代には陸海軍の火薬庫、大正時代には宮内庁の白金御料地と歴史を重ね、通常一般の人々が中に入ることができなかったために、まれに見る豊かな自然がここに残されています。 一般的な植物園や庭園と違い、自然の移りゆくまま、できる限り自然の本来の姿に近い状態で残そうという考え方で運営されているそうです。 |
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