ナビトモのメンバーズプロフィール

COSMOS さんのプロフィール

2024/04/30 湯好屋三助其の2
五月の湿原水彩画に拍手有難う御座います。

2024/04/30 トシアンドレオ
おはようございます。ストロベリーキャンドルに拍手ありがとうございます。夏にヒマワリ畑を作る為の肥料になるようです

2024/04/30 四つ葉
厳冬 黒四ダムに挑む〜断崖絶壁の輸送作戦」の続きとたけのこ煮物‥♪に拍手ありがとうございます。たけのこ頂き煮物して娘に持たせました。娘はお初のたけのこ喜んでいました。

2024/04/29 黒部
COSMOSさん こんにちは。「小和清水」に拍手を有難うございます。この日の福島県は黄砂が大量に飛来、新緑の山並みが霞んだのは残念でしたが、最後に清らかな湧水に巡り会えたので満足出来ました♪

ギャラリー作品一覧

3801件〜3810件を表示 (4453件)

    No 3801
    作品名 近藤勇像とファンノートBOX
    説明 近藤勇像とファンノートBOXです。
    近藤勇の像はあちこちにありますが、全身のものは初めて見ました。
    像の奥にはファンが書いたノートが置かれているところがありました。
    いろいろ書き込めるようになっていて閲覧は自由にできました。
    近藤勇像とファンノートBOX
    作品の詳細はこちら

    No 3802
    作品名 近藤勇・土方歳三之墓
    説明 北区にある近藤勇・土方歳三之墓です。
    近藤勇の遺骨が埋葬されているわけではありません。
    この墓を建立したのは、新撰組の同士だった永倉新八です。
    彼は近藤や土方と意見が合わず2人の元を離れましたが、2人の死を悼みこの地に墓を建立しました。
    大きな四角柱の墓石には、近藤勇と共に土方歳三の名前が刻まれています。
    近藤勇・土方歳三之墓
    作品の詳細はこちら

    No 3803
    作品名 永倉新八墓
    説明 新撰組永倉新八墓です。
    永倉新八は自分が死んだら近藤と土方の墓のそばに自身の墓を作るようにと家族に遺言していたそうです。
    その墓には彼の遺髪などが埋葬されているようです。
    永倉新八墓
    作品の詳細はこちら

    No 3804
    作品名 近藤勇菩提寺
    説明 北区の壽徳寺は新撰組隊長の近藤勇の菩提寺になります。
    門前にある石碑ですが、近藤勇の123回忌に本人所有の短刀が見つかったことを記念して、この石碑と肖像石板が建立されたそうです。
    近藤勇菩提寺
    作品の詳細はこちら

    No 3805
    作品名 谷津観音
    説明 北区滝野川の石神井川沿いにある谷津観音です。
    寿徳寺で2008年12月6日建立されたもので、台座を含めた高さが八・五メートルで、重さ五トンあるそうです。
    観音像が手にした蓮の花は、地域住民や檀信徒が願いを記した銅板を溶かして鋳造されたものだそうです。
    谷津観音
    作品の詳細はこちら

    No 3806
    作品名 戦争遺跡
    説明 北区にある戦争遺跡です。
    左は「陸軍用地」と彫られた境界石です。
    右は憲兵小屋跡です。かつてここの道路には十条工場や滝野川工場を含む一帯の陸軍工場専用に敷設された軽便鉄道の線路が敷かれており、この小屋は動力室だったそうです。
    ここを見張りの憲兵が使用していたといわれています。
    戦争遺跡
    作品の詳細はこちら

    No 3807
    作品名 西ヶ原一里塚
    説明 北区にある西ヶ原一里塚です。
    一里塚は江戸幕府が全国の主要街道に、一里ごとに道の両側に塚を築かせ、その上に主に榎の木を植えさせました。
    西ヶ原一里塚は、江戸の日本橋から日光まで続く「日光御成道」の二里目の一里塚で、徳川時代に設置されたままの旧位置を留めており、都内では大変貴重なものです。
    西ヶ原一里塚
    作品の詳細はこちら

    No 3808
    作品名 都電6080型
    説明 都電6080は昭和53年4月まで飛鳥山公園脇の荒川線を走っていた車両です。
    この車両は6000型と呼ばれており戦後はじめての新造車で昭和24年に製造されたものです。
    青山、大久保、駒込の各車庫を経て昭和46年3月荒川車庫の配属となり現役を退くまで都民の足として活躍していました。
    この都電は交通局から譲り受け子供たちの施設として設置してあるものです。
    都電6080型
    作品の詳細はこちら

    No 3809
    作品名 明治三十七八年戦役記念碑
    説明 北区飛鳥山公園にある明治三十七八年戦役記念碑です。
    戦争の名称は閣議で決められるものです。
    日露戦争の正式名称は「明治三十七乃至八年戦役」です。
    したがって日露戦争は通称なのです。
    第一次世界大戦は「大正三、四、五、六乃至七年戦役」
    第二次世界大戦は「大東亜戦争」です。
    明治三十七八年戦役記念碑
    作品の詳細はこちら

    No 3810
    作品名 石造近藤守重坐像
    説明 北区の正受院にある石造近藤守重坐像です。
    近藤守重は幕府から蝦夷地の調査を命じられ、石像のように、甲冑に身を固めてエトロフ島に渉り、現地の開発に尽力したそうです。
    正受院の東隣に、滝野川文庫という書斎を設けて住んでいたそうです。
    坐像は、江戸派の画家として著名だった谷文晁に下絵を依頼して製作したと伝えられます。
    石造近藤守重坐像
    作品の詳細はこちら

3801件〜3810件を表示 (4453件)

 




ブログランキング

上部へ