COSMOS さんのプロフィール
ギャラリー作品一覧
No | 3451 |
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作品名 | 東京にある発祥の地 |
説明 | 青梅市にある怪傑黒頭巾誕生の地です。高垣眸(たかがき・ひとみ)は、青梅の高等女学校で教鞭と取る傍ら少年向けの冒険小説を書き『龍神丸』『豹の眼』『荒海の虹』等の作品を発表しています。 昭和10年に発表した『怪傑黒頭巾』は大評判となり、数多く映画化され、NHKのテレビドラマにもなりました。 高垣眸はこの地に住み数々の名作を生みました。 |
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No | 3452 |
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作品名 | いらっしゃいませ |
説明 | 八王子市の妙薬寺山門を入ったところにたたずんでいました。 まるで「いらっしゃいませ」とお迎えをしているようです。 そばに「感謝の心をご先祖様に」と記されていました。 |
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No | 3453 |
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作品名 | 横山党根拠地 |
説明 | 八王子市にある横山党根拠地です。 横山党は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけて存在した武蔵国の武士団で、いわゆる「武蔵七党」の一つだそうです。 中でも、70余りの氏族を含む最大規模の武士団だったとか。 その始祖である横山義孝祀った横山神社がここ八王子市にあります。 もともと横山義孝は小野義孝だったのを横山姓に改め日本における「横山姓」の始まりだそうです。 |
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No | 3454 |
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作品名 | 運上所跡 東京税関発祥之地 |
説明 | 中央区にある運上所跡 東京税関発祥之地です。 鎖国政策を廃止して横浜などが開港され、長崎・横浜・函館の3ヵ所に「運上所」が開設されたそうです。 “運上”というのは、江戸時代には商工業者が払う税金の一種で、今風に言えば “取引税”のようなものだそうです。 “運上所”は関税を取り立てる役所で、これが東京税関の始まりです。 |
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No | 3455 |
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作品名 | 東京にある発祥の地 |
説明 | 中央区にある靴業発祥の地の碑です。 日本で西洋式の靴が履かれるようになったのは、江戸時代末期ないし明治の初めのころに始まりますが、その多くは軍靴であったと言われています。 ここ中央区明石町一帯は多くの外国人が居住することになり靴の需要が多くなりました。 ここに日本で初めて靴の工場ができ国内で靴の製造が始まったと言われています。 |
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No | 3456 |
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作品名 | 八光山権五郎像 |
説明 | 八王子市にある八光山権五郎像です。 八光山権五郎は江戸時代中期に活躍した八王子出身の力士です。 三都及び四国九州を遊歴し、強くカのある者に逢えば相撲を試み、遂には敵する者が無く、これを賞され時の天皇から御盃と錦のまわしを賜ったと記録されています。 これに因み、毎年八月二日には近郷の力自慢によって相撲が奉納されるようになったそうです。 |
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No | 3457 |
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作品名 | 東京にある発祥の地 |
説明 | 中央区にある電燈供給発祥の地です。 明治20年東京電燈会社(日本で最初の電気事業者)がこの地にわが国初の発電所を建設しお客様に電燈の供給を開始しました。 これが、日本における配電線による最初の電燈供給です。 なお横浜市での電力供給は、東京に3年遅れて始まったそうです。 この碑は1987年に東京電力が設置したものです。 |
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No | 3458 |
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作品名 | 勝五郎の前生藤蔵の墓(生まれ変わり物語) |
説明 | 中野村で生まれた小谷田勝五郎が8歳の時自分の前世は、程久保村の藤蔵であると話します。 藤蔵は、6歳の時に疱瘡で亡くなった子でしたが、行ったことの無い藤蔵の家の様子や家族のことを話したとか。 勝五郎がせがむので程久保村へ連れていくと、来たことのない家のことをよく知っていたとか。 この話が江戸にも知れ渡り明治になって小泉八雲が著書に掲載し、欧米で出版したので外国でも知られるようになったとか |
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No | 3459 |
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作品名 | 東京にある発祥の地 |
説明 | 銀座にあるスターバックスコーヒー日本1号店です。 1996年8月2日、銀座松屋通りにスターバックス日本1号店はオープンしました。 北米以外では初の店舗であり、開店前から行列ができたそうです。 一番最初のオーダーがカスタマイズドリンク「ダブルトールラテ」だったことも有名な話です。 |
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No | 3460 |
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作品名 | 文永の板碑 |
説明 | 高幡不動尊にある文永の板碑です。 文永8年(1271)総高2.35m 日野市内最大の板碑です。 市内の果樹園のなかに立っていたのを平成19年に寄贈されたものです。 当時の所有者は「平」姓の方でした。高麗からやって来た一族のその子孫だとかで平氏の祖先供養塔だろうと思われるとか。 |
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