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敏洋’s 昭和の恋物語り

ボク、みつけたよ! (四十四) 

2022年02月28日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 一月二日です。 いよいよ物語りも佳境に入りますので。今日の予定では長崎のオランダ商館に行ってみようかと思っているんですが、その前にどうしても立ち寄りたい場所があるんです。虹ノ松原海水浴場、佐賀県の唐津湾なんですけどね。小学二年生ぐらいじゃないかと思うんですが。夏休みのあいだ中、その海水浴場に滞在しました。といって、別荘があるとかそういったことじゃないですよ。海の家の一角を借り切ってのことです。両親はそこを拠点にして、あちこちに商売で出かけていました。実はこれからお話しするのは、その折のことだったかどうかはっきりしません。場所もどこだったかまったくわからない、ある学校でのことです。
最近では聞きませんが、わたしが中学を卒業する前にある講座が開かれました。実際に料理が出たかどうかまでは記憶にないのですが、マナー教室といったものでした。卒業後に社会人としてスタートする就職組だけを対象としたものです。要するに、洋食を食べるときのマナーですよ。なにせ外食をするといっても、近所の定食屋さんかうどん屋さん。もしくは、百貨店(当時はデパートなんてしゃれた横文字は使われていなかったはずです)の最上階の食堂ですわ。どういう風の吹き回しなのか、社会人としての心構えなんかを講義してもらえるわけです。親ごころといったところからなのか、それとも学校の恥さらしにならないようにといったところなのか――まだ14か15歳のガキですからねえ、実際は。
 その話ではなくて、もっと以前のお話しです。昭和20年代後半ですから、ほとんどの子どもたちは中学卒業と同時に社会人だとおもいます。高校進学する子どもは、ひと握りじゃなかったんですかねえ。でそのいち翼を、母が担っていたというわけでして。母は、「ミス伊万里だったんだぞ」と父から聞かされたんですが、実家は兵庫県の姫路市なんですよ。そういうことってあるんですかね? 選出時に伊万里市に居住していればOKなんでしょうか。まあいいや。美人であったことは間違いありませんから。面長で切れ長の目をもっていました。そしてスッと鼻筋がとおっている、瓜実顔というんですかね。着物がにあうと、よく言われていました。

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