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敏洋’s 昭和の恋物語り

水たまりの中の青空 (光子の言い分:四) 

2021年05月30日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 仲居たちの間では評判が悪く、三水閣の女将もまた苦々しく思っている。
しかしこの旅館の主には、金を稼ぐ雌鶏が大事だ。
傍若無人に振る舞う光子に対し、大物然とした度量の大きさを示したがる客が少なからずいた。
地位の高い層が多く、そんな中で一人、光子の振る舞いに興味を覚えた人物がいた。
風変わりな女たちを指名してくる、ある大物政治家だった。
三十路を過ぎた里江が、仲居頭として腕を振るっていられるのも、このKという政治家に可愛がられたからだった。

「フェミニストとして世に知られた、えら〜い政治家さんなんですよ」と、里江に教えられた。
「女性を大事にしない国家は、必ず衰退していく」。
「考えてもみなさい。世の男どもにはすべからく、おっ母さんがいる」。
「みな、おっ母さんのお腹を痛めてこの世に出てきたんだ」。
「十月十日という長い月日で育んでくれたんだ。仕込まれてすぐにポンとでてきたわけじゃない」。
「何かを創り上げるときの『産みの苦しみ』ということば、あれは出産時のことから生まれたものだ」。
演説会で必ず弁ずることばを、そのKの口調を真似て話す里江は、その時だけはこの世に産まれてきて良かったと感じている。

 けれども、光子には諸手を挙げて受け入れる気にはならない。
(こんな場所で遊んでいるのよ。皆のおっ母さんだと仰る女性を相手に、奇態をご要求されるのです。
それとも、巷で囁かれております、2種類でございましょうか。
高等市民と平民。もしくは選民と、賎民……。
あらあら、申し訳ありません。つい口を挟んでしまいました。どうぞお続けくださいまし)。

「お前、どこぞの旅館の跡取り娘だろう。
若女将じゃないのか? あの行儀作法の悪さは、その基本がしっかりしていないとできない所作だ。
どうせ、男に騙されて売られてきたんだろう。
どうだ、わしが身請けしてやる。どこぞで旅館でもやってみる気はないか。
今さら実家に戻るわけにもいかんだろうし」。
再々声をかけてくる。
しかしその裏に隠れている下心が見え見えでは、光子ならずとも二つ返事で応じることはできない。

 里江からも「ご厚意を受けなさい」と言われるが「そうですね」と答えるだけだ。
ここを抜け出せる、地獄のような日々を送らずに済む、気持ちが傾きかねなくはない。
しかし囲い者になるのが疎ましい。ひとりの男のためにだけ生きることなど、身体が身震いするような感覚に襲われてしまう。
清二、そして三郎。もう男に振り回されることだけはされたくない。
その思いが強い光子だった。
それよりも、ここにやってくる男どもをうまくあしらっている方が余ほどにましだ、そう考えてしまう。

 しかし、とも思う光子だ。底辺を蠢いている己だと身にしみている。
いくら強がったところで、所詮は売春宿の仲居なのだ。
胸を張って外を歩ける身ではない。
大鏡に映った己を見たとき、胸がはだけた己を見たとき
(これは自分ではないと愕然とした。人として生きていない。
このままでは、こころの中に夜叉を抱えてしまう。
何としてもここから逃げだそう。人の世に戻らねば)、そう強く感じる光子だった。
といって、Kの申し出を受ける気にはなれない。
なんとしても明水館に戻りたいと、心底から念じる光子だった。

 そして雨の早朝、まだ皆が寝静まっている早朝に、あのぬかるみの道をひとり歩いた。
街灯一つない道を、雨を降らせる雨雲の上にあるであろう太陽からの薄明るさだけを頼りに、ただひたすら静かに歩いた。
幸い、この強い雨の中を行き交う人はいない。
(このぬかるんだ道は、1年の余をすごした三水閣での生活。
降り続く雨は、女たちの流した涙の量。でも、この雲の上にはお天道さまがいらっしゃる。
わたしを導いてくださるお天道さまが)。
両手を組んで祈りを捧げる仕種で、ただひたすらに歩いた。

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