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敏洋’s 昭和の恋物語り

日光・東北旅行 [6月11日〜6月13日](十四) 

2021年02月14日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



うーん、残念! 撮影したつもりでしたが見つかりません。
陸奥湾から魚類を運搬してきた来訪者たち(貿易商人という言葉は存在しなかったでしょうが)が通った道の左右に、先祖を埋葬した墓があったそうです。
両脇共に30cmほど高くなっています−両脇に盛り土をしたと言うべきでしょうか。
ご先祖さまの加護を祈ってのことなのか、それとも多人数での部落というか村社会であることを誇示しているというか、そんな風に思えましたが。
現代人ゆえの考え方かもしれませんが。


柱跡 だったっけ?


櫓 



櫓の土台


見上げると

6本の大きな柱で建てられた、見張り台(?)です。
ただし、戦闘的な物ではなく、訪問者をいち早く見つけるための、儀礼的意味があるということでした。

そもそもが縄文時代は平和な時代であり、部落(村)間のいざこざは少なかったということです。
弥生時代に入っての、富を持った権力者が生まれてからは色々といざこざが耐えなかったらしいですが。
それを象徴しているのが、あの卑弥呼ですよね。
ビッグコミックオリジナルでしたっけ、卑弥呼を主人公とした漫画がありますが。
わたしも愛読しています、コインランドリーで。


竪穴式住居
わら屋根、茅葺き、そして土をかぶせた屋根の、3種類がありました。


すみませんねえ、むさ苦しいおっさんが出てきて。
しばらく顔を出していなかったので、ご挨拶にと。
小っちゃいでしょ? どのくらいの広さがあったかなあ、4畳半、いや6畳はあったかな。

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