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敏洋’s 昭和の恋物語り
敬愛する 芥川龍之介 を語る (四)
2020年07月23日
テーマ:テーマ無し
しかし文壇は、世間とは違った面から彼の仕事を批判した。
文壇は、芥川の生活に「都会的な処世術の過剰を認め、彼の作品中にディレッタント的現実避難を見つけた」とある。
確かに、そういう見方もある。
しかし私は、こう見たいのである。
芥川の創り出す別世界に、我々が彼の本を読むことにより接した場合、実社会では感じられない、強烈で純粋な一種の現実的感動を受ける筈である。
それは言葉にしてしまえば卓上理論のように聞こえるが、実は我々人間の中に内在する真の生活に結びつくものに働きかけ、感動を呼び起こしているのである。
芥川の才能は、唯美的な傾向が強かった故に、短編は唯美的なものとなった。
芥川の作品の与える感動は、「田山花袋や徳田夢声のものよりも、北原白秋の抒情的の与へるものに近いと思う」という批評は当たっていると、私も感じた。
つまり、『布団』などに見られる、どちらかというと俗気は弱いが油絵の具的なものである。
そのくせ、鋭くくい入る物であると思う。
芥川は、唯美的な抒情詩人が、一遍の抒情詩を作り上げるのと同じような繊細な配慮でもって短編を仕上げた。
芥川は、詩人となるべきであったように感じられるのである。
詩的ムードを多分に持っていた。
そうした詩人にとっては、やはり感動の集中ということが問題となってくる。
当然のことである。
そしてその集中の為には、素材は極端に純化されなければならなくなるのである。
それ故になおのこと、人間の現実社会よりも、それ以前の生まれる前の生きる前の問題を小説にしているのである。
私が作品というより文章に酔う理由は、感動を集中させる為に素材を極端に純化したからである。
そして、倫理的で主観を殺した文章を書かなかったからである。
そこには常に、主観があった。そしてそれ故に、詩的ムードが漂っていた。
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