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敏洋’s 昭和の恋物語り

敬愛する 芥川龍之介 を語る (五)     

2020年07月24日 外部ブログ記事
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それに反して、よく比較されるところの志賀直哉は、客観的な中に物ごとを見つめた人である。

芥川の作品、
「平中は膝を抱へたまま、茫然と梅の梢を見上げた。
青い薄桜の翻った上には、もう風に吹かれた落花が点々と幾ひらもこぼれている…………」
(『好色』より)

「後をふり返ると、土手の松にまじって半開の桜が、べったり泥絵具をなすっていた。
その又やけに白いのが、いつになく重くるしい。」
(『世の助の話』より)

これに対して志賀直哉は、『暗夜行路』で、
「四月に入ると、花が咲くように京都の町は全体が咲き、賑わった。
祇園の夜桜、嵯峨野の桜、その次に御室の八重桜が咲いた」

まさに、油絵具と水彩画である。

以上から考えると、芥川の作品が我々の日常体験から遠ざかれば遠ざかるほど、より我々の生活の本質的な部分に近づきつつあるということになる。
だから、遊離とか逃避などということはなく、全く反対のものだと思うのである。

しかるに、芥川の小説は生活から遊離しているという、非難を受けがちであった。
「(もっと己れの生活を書け、もっと大胆に告白しろ)とは諸君らの勧めることばである。
僕も告白をせぬわけではない。
僕の小説は多少にもせよ、僕の体験の告白である。
けれども諸君は承知しない。
諸君の僕に勧めるのは僕自身を主人公にし、僕の身の上に起った事件を臆面もなしに書けと云ふのである。
(略)僕は第一にもの見高い諸君に僕の暮しの奥底をお目にかけるのは不快である。
第二にさう云ふ告白を種に必要以上の金と名とを着服するのも不快である。
たとへば僕も一茶のやうに交合記録を書いたとする。
それを又中央公論か何かの新年号に載せたとする。
読者は皆面白がる。
批評家は一転機を来したなどとほめる。
友達はいよいよ裸になったなどと、考へるだけでも鳥肌になる。
(略)誰が御苦労にも恥ぢ入りたいことを告白小説などに作るものか」
(澄江堂雑記 告白 より)

ここに、自己を裸にしえない芥川の面目が見える。
その裏には、彼自身の家族構成の卑下心のあることも忘れてはならない。
しかし自己の世界を一応作り上げた芥川は、省みて自らの文学の限界を認識せざるを得ないだろう。
停滞=退歩であると信ずる芥川は、今のままでは、内面的にも停滞の迫りつつあることを感じないわけには行かなかったろう。
たとえ、一作毎に作風を変えたとしても、この事実は事実だ。
それを一番よく知っていたのは、やはり芥川自身だった。

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