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敏洋’s 昭和の恋物語り

歴史異聞 第一章 『 我が名は、ムサシなり!』 (四)山寺にて 

2020年05月13日 外部ブログ記事
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 そんな視線に気付いた沢庵和尚は、破れた袖口やら裾をひらひらと舞わせながら「いまは乞食じゃ、乞食じゃ。
だがのう、これでも寺に戻れば法衣を着れば袈裟も着けておる。
あちこちの大名が列をなして門前で待っておるぞ」
と、僧たちの笑いを誘いながら住職の隣に立った。
そして、年の頃は十歳だが身の丈五尺ほどで赤銅色の少童がその後に隠れるように立った。

「ごんすけという名前じゃ。すぐに分かることゆえ、皆には今話しておこう」
と、ごんすけを皆の前に対座させた。
「南蛮人じゃ。ゆえに、ごんすけには、寺の作務を終えるとすぐに、勤行ではなく異例ではあるが武芸を習得させる」
 寺に居する者が勤行をせずに武芸に励むとは……と、あちこちから疑念の声があがると、沢庵和尚がすぐに一喝した。

「ごんすけは預かりものじゃ。このことは、皆、決して忘れてはならぬ。
と言うて、甘やかす必要はない。皆と同じように修行せねばならぬ」
「沢庵和尚の申されるとおりにせよ。昨夜に、夜通し話しおうたことじゃ。
武芸の習得と同時に、学問を修めさせる」
 住職の強い言葉に、疑念や不満の言葉は、すぐに止んだ。

 住職の意に背くと言うことは、即破門を意味している。
破門となると他の寺での修行僧になることは勿論のこと、生家にも戻りづらくなる。
それよりなにより村八分に遇うことになり、村社会での生活すらままならずに、住み慣れた土地から離れればならない。
そしてそのことは、己の生存すら怪しくなってしまう。
よそ者を警戒する風潮はどこの村にもあり、当然ながらこの村にもある。

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