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独りディナー
忘れられない、昨夜の演奏
2019年10月17日
テーマ:音楽
ドボルザークの、チェロ・コンチェルト。
いつの頃だったか、毎日のようにレコードを聴いていたこの名曲。
子供の頃に聴き続けていた曲は、まるで自分で弾いたかのように、隅々まで記憶が染みこんでいる。
宮田大氏のチェロを聴くのは初めてだったけれど、ダイナミズムと繊細さを併せ持つ、名演だった。
やはり、ドボルザークの音楽は良い意味で泣き節だなぁ。
自分が若かった時代の思い出に重なり、聴き慣れているホールの空気感が、ヨーロッパに置き換えられた様な気持ちであった。
スイスや、オーストリアの田舎町が思い浮かんできて、風景そのものよりも、いかにもそこでの生活(大して知らないのだが)が彷彿としてくるような・・。
後半は、ベートーヴェンの「運命」。
多分、クラシックの交響曲の中で、最も知名度の高い曲とも言える。
指揮は、尾高忠明氏。
それは、素晴らしい「運命」であった。
中学になりたての頃、それこそ夢中になって聴き続けたオーケストラ曲。
毎日聴いていたレコードは、トスカニーニの演奏だった。
昨日の演奏は、トスカニーニ的でもあった。
二日前に我が家に遊びに来てくれた、親しい友人である夫人から「全てをそぎ落としたした様な、運命よ」と聞いていたのもあるけれど。
本当に、大げさなものが何も無い、「運命」そのもの、といった演奏だった。
ベートーヴェンの偉大さが、直球で伝わって来る様だった。
そして、多分指揮者のお人柄だろう、実に上品な演奏だった。
多分、こんな素晴らしい「運命」を聴く機会は
、これからの人生でもう無いだろうなぁ、と思いながら聴いていた。
死に土産としては、何て素晴らしい宝物だろう。
比較的近くの席に居た夫人が、「たまには、会っていかない?」と誘ってくれたので、何時もはお疲れだろうしと思って遠慮する事にしているのだけど、昨日は楽屋へも行った。
本当に、人生最後に聴く、この上なく凝縮された「運命」にお礼を言うつもりだった。
でも、結局口にしたのは、夫人に向かって「ねぇ、○○子さん。こんなに素晴らしい演奏を聴いたら、ほれ直さない?」という、素直な感想だった。
私が、主人の晴れ姿を見る機会はめったに無かったけれど、チェコだったか、何処かでの、特別講演を聞いた時は、惚れ直してしまったから・・。
「えっ?」と、二人は大笑いしながら、でも「考えてみるわ・・」と、友人は例によってやさしく答えるのであった。
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