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敏洋’s 昭和の恋物語り

九州旅行 〜ルーツ探しの旅〜 (三十三)六日目:帰るぞお! (1月4日) 

2019年10月15日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



ホテルを出たのは、確か8:30頃だったと思います。
福岡県中間市まで、寄り道をしなければ2時間程度です。
当初の予定だと
〜10:00 伊万里 市内散策
10:00 ホテル 出発 (約2時間)
12:00 太宰府天満宮 到着
13:30 出発 (約2時間)
15:30 門司港 到着 フェリーにて帰途 (新門司港支店)
17:00 フェリー出航
でした。
ですが帰りのフェリーの予約は取り消していますので、予定外の中間市に回ることにしました。

伊万里市の伊万里小学校、柳川市の昭代第一小学校、そして久留米市の篠山小学校。
思いもかけない伊万里保育園まで立ち寄れた、嬉し恥ずかしの「ルーツ探し旅」となりました。
どうして中間(なかま)市の中間(なかま)小学校を外していたのか、今考えると分からないのです。
忘れていたわけじゃありません。
大元の予定では、門司港から別府に行き、その後、熊本城をと考えていたのです。
太宰府市に寄ることは考えていなかったのです。
が、中々気に入るホテルが見つからず(温泉に入りたかったのです。勿論安価に)にいましたが、甘木市に見つけました。

別府の地獄巡り後に熊本城まで回るのは無理と判断して、今回は諦めました。
まだ熊本城の復興が進んでいないということも、大きな要因の一つだったと思いますが。
ですが、近いうちに行こうかと思います。
その折には、有田市の「有田ポーセリンパーク」に行きますよ。
そして、「ツヴィンガー宮殿」を見学したいですねえ。
勿論「バロック庭園」もです。
そしてそして、「伊万里チャンポン」を、次には是非にも。

途中、二ヶ所の「道の駅」でトイレです。
伊万里ともう一ヶ所ですが、結構大きな施設でした。
名前がねえ、どうしても思い出せないのです。
忍者? の …… 違うか。
子どもが大喜びしていたような、そんな気もするけれども……。
海の傍? ……
やっぱり、思い出せません。



中間市の中間小学校には、11:20に着きました。
写真の情報で確認できました。


[中間小学校:正面入り口]






[校舎]


[運動場]

一級河川の遠賀川だと思うのですが、そのすぐ下にあります。
遠賀橋(だと思いますが)から堤防道路に入り、下りました。


[堤防道路]

ただ、どうにも思い出せないのです。
中間小から、岐阜市に移ったのですから、小学6年生の夏休み前まで通ったんですよねえ。
友だちのことは、しっかりと覚えているのですよ。
倉田くんに、佐々木くん。
住所が分からないので、地図で探してみるのですが、覚えている地形に当てはまる場所がないのです。
線路脇にあって国道に面していました。
その国道は、当時はまだ八幡市とい名称でしたが、現北九州市八幡区に繋がる国道です。
どうしてなんでしょうかねえ、覚えていないのは。
楽しい毎日を過ごしていた気がするのですが。
夏の夜には蛍狩りに出かけたり、狭い空き地で三角ベースボールで遊んでみたりしました。
ですが、学校生活をまったく覚えていないのです。
人間、イヤな記憶、悲惨な体験は、記憶から消してしまうと聞いた覚えがありますが、そうだったのでしょうか。

さあ、12:00になりました。
自宅に向かって、陸路を走ります。
これまで、フェリーの海路は抜きにして、750kmほど走っています。
ここからは、900km程度を走ることになりそうです。
深夜になるでしょうから、疲れたらどこかのホテルで泊まることにします。
ビジネスホテルが見つからないようなら、モーテル(今でもラブホテルと言いますかね?)にでも入りますよ。



さあ、出発です!

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