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敏洋’s 昭和の恋物語り

州旅行 〜ルーツ探しの旅〜 (三十一)五日目:生地(聖地)伊万里市にて 

2019年10月08日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



先ずは、市内のあちこちを回ってみました。
ですが、やはり見覚えのものは、何ひとつ…ありません。
トイレの窓から忍び込んだ映画館も見つからず、大きな木の下にあったお堂もなし。
なし、なし、なし!
そうでした、伊万里市は梨の特産地でした。
と、オチが付いたところで、神社へ行くことにしました。
まだ初詣を済ませていませんのでね。



左下辺りのくの字マークがある辺りに、車を停めました。
勿論、びっしり状態でしたが、運良く車が発進しましたので入れました。
小さい車は、こういうときに便利ですよね。
で、この渡った先が伊万里神社です。









旧県社の香橘神社(こうきつじんじゃ)と戸渡嶋神社(ととしまじんじゃ)、岩栗神社(いわくりじんじゃ)が合祀され1962年(昭和37年)に現在の伊萬里神社が成立した。
旧戸渡嶋神社及び岩栗神社の鳥居も境内に残されている。
香橘神社は社伝では垂仁天皇の代に天皇の命で常世の国から不老長寿の妙薬と称された非時香菓(ときじくのかぐのこのみ、橘のこと)を持ち帰った田道間守命が帰途この地に非時香菓を一株植えたことから、日本における橘の初渡来地として「橘の宮」と称されたことが始まりと言われている。
そのことから、田道間守命を祀る中嶋神社が境内社として本殿近くに合祀されている。
−−−Wikipediaより

そうか、だから鳥居が三つあったんだ。
しっかりとお詣りしてから、階段近くの鳥居そばに、猿が居ました。
猿回しのおじさんが一生懸命に指示を出すのですが、中々……。
なので、ちょっとした仕草にも、拍手拍手でした。

(祭礼)
御神幸祭 : 10月22日-24日[伊万里トンテントン祭り]
[岸和田だんじり祭り]ほど有名ではありませんが、トンテントン祭りもまた喧嘩まつりなんです。



動画を見つけました。
検索サイトで、「トンテントン祭り」で観て下さい。
昔ほどの迫力は無いかもしれませんが、勇壮ですよ。


道路に埋めてありました。

車に戻ろうと横断歩道を渡っているときに、建物の壁に鳥の絵を見つけました。




何て言うんですかね、「虫の知らせ」は良くないことを感じることですから、違うな。
兎に角、坂を登ってみると、なんとなんと保育園でした。
多分通ったであろう、保育園なんですよ。
まったく予想していなかったことでしたから、もう感激! でした。
ここに通っていたであろう時期に、あの忌まわしい交通事故に遭ったんですねえ。
そして、保母さんと園児たちのお見舞いを受けたんですよ。

と、思っていましたが、どうやら違うようです。
今の今まで「そうだ」と思っていたのですが、HPを調べたところ、
(沿革)
明治34年 私立伊万里幼稚会として創立    
明治41年 私立伊万里幼稚園と改称
大正12年 伊万里町6ケ寺経営となる     
昭和24年 伊万里町伊万里保育園と改称
昭和29年 伊万里市立伊万里保育園と改称
昭和33年 伊万里市立町から現在地に移転  (旧中学校跡)
とありました。
google map で位置を確認したところ、徒歩で19分とあります。
多分違うでしょう。
伊万里幼稚園が生家近く(徒歩10分ほど)にありますが、どちらでしょう。
決めた!
伊万里保育園が、わたしの通った保育園です。

さあそれでは、いざ伊万里小学校へ。
期待と不安の中、ナビ頼りで車を走らせました。
時計台を見つけて、安堵の気持ちが湧いてきました。
坂を登り始めても、まだ気が付かず。
そして、校門前に着き、校内の駐車場に車を停車しました。
が、まだ気付かずです。



車から降りてコンクリートの校舎を眺めても、正直、感慨の念は湧きません。
もう60年の以上が流れて、木造だったはずの校舎が立派なコンクリート製に建て替えられているのですからねえ。
まったく、見覚えがありません。
「こんなに立派な建物になったのか……」
これは、回った全ての小学校に共通した感情です。

少しずつ歩を進めて行くと、
「えっ、えっ、ええぇぇぇ!」
と、思わず声を上げました。
校庭がありました。
(二十八)ですでにお伝えしましたけれども、ほんとに感激したんですよ。





小学校を出たのは、11時でした。
小学校最後の写真が体育館でしたが、11:00になっていますので。
どういうのでしょうね、ほんとに。
普通ならば来た道を帰るでしょうに、橋を渡って確か左だと思ったのですが、川沿いの狭い道に入ったんですよ。
そうしたら、これが大当たり!





思いもしていなかった、あの、九死に一生を得た、あの病院を見つけました。
川沿いにあったことを覚えています。
生家からも近いですしね。
またまた、感激です。

母親にお茶絶ちをさせ、あの酒好きの父には酒絶ちをさせた大事故から救ってもらった、あの病院です。
これは間違いありません、絶対です。
深々とお辞儀をして、感謝の念を伝えてきました。

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