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敏洋’s 昭和の恋物語り

強行軍! 2日間で5ヶ所美術館巡り−2日目[すみだ北斎美術館](三) 

2019年06月11日 外部ブログ記事
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葛飾北斎は、現代で言えば[デザイナー]だった!
江戸時代では、デザインにも凝っていたらしいのです。
前回お話ししましたが、煙管職人向けのデザイン画を北斎が描いていますが、職人たちからの注文だというんです。
個々に対応することよりも、たくさんの図柄を本にしたらしいです。
職人たちはその本から気に入った図柄を破り取って(大げさな)、煙管の胴体に巻き付けて彫ったらしいです。
すごいですね、ほんとに。

それから戯作本(現在の小説)も書いたらしいですよ、挿絵と共に。
でね、その北斎の挿絵が評判で、結構売れたらしいです。
が、が、戯作そのものは散々だったらしく、やめちゃったらしいです。
北斎に対して挿絵の依頼が、戯作者たちから殺到したらしいですよ。
北斎の挿絵があるかないかで、売り上げにも影響を及ぼしたなんてこともあったらしいです。


[百物語 さらやしき]
中判錦絵 天保2-3年(1831-32)頃
有名な皿屋敷伝説を題材にした作品です。
主人の大切な皿を割ったために殺された下女お菊の霊が、まさに落とされた井戸から現れる場面を描いています。
北斎の他にも多くの浮世絵師が皿屋敷を題材に制作していますが、皿を連ねて蛇体のように首から下を表現した姿は他に見られません。
なお、百物語というシリーズ名は、江戸時代に流行した怪談会のことです。
現在のところ全部で5図確認されていますが、いずれも独創的で、幽霊・妖怪画の白眉といえます。


[百物語 こはだ小平二]
中判錦絵 天保2-3年(1831-32)頃
百物語ひゃくものがたり とは、江戸時代に流行した怪談遊びです。
その名を冠した本シリーズは、当初100図近い版行が予定されていたと考えられますが、現在5図しか確認されていません。
こはだ小平次は、江戸時代に発生した怪談話の主人公で、怪奇小説や歌舞伎などに脚色されて、人気を博しました。
腐乱して白骨化した頭蓋の様子がリアルな本図は、当時出回っていたオランダの解剖書など科学書の知識が転用されたことがうかがえて興味深いものです。


[さむたらかすみ]
半紙本1帖 寛政9年(1797)
ピーター・モース コレクション 区指定有形文化財(絵画)
北斎が宗理と号していた時期の狂歌集の挿絵で、初春の峠の茶屋を描いています。
のどかな山里の生活と旅人の様子が見事にとらえられています。
3人の女性は、この時期の特徴である宗理型美人とよばれる瓜実顔の楚々とした美人様式で描かれています。
宗理期における狂歌絵本を代表する1図です。

曲亭(滝沢)馬琴と仲が良くて、殆どの作品に北斎の挿絵が使われたということです。

[椿説弓張月]
半紙本29冊 文化4〜8年(1807-11)
本書は曲亭馬琴作の読本で、北斎は挿絵を描いています。
読むことを主とした本のことを読本といい、文字ページと数点の挿絵で構成されています。
源為朝は保元の乱(保元元年・1156)に敗北して、伊豆大島に流刑るけいとなり、その地で死んだといわれています。
しかし、本書では椿説(珍説)とあるように、弓の名手としての英雄・為朝の活躍を中心に描いています。
画面の枠からはみ出して挿絵を描き、迫力を出すなどの工夫がみられます。
−−−−−すみだ北斎美術館HPより

初めのうちは馬琴の指示通りの挿絵を描いていた北斎でしたが、自身の挿絵の価値に気がついたせいでしょうか、馬琴の意向を無視した挿絵を描くようになってしまったとか。
有名な話で、戯作の中には書かれていない桜(だったかな?)の花びらを勝手に描き込んで馬琴を怒らせたとか。
幾度かそういったことが続き、とうとう馬琴が北斎の挿絵を拒否したという話もありました。

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