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独りディナー
45年ぶりの、母校
2019年03月23日
テーマ:ウィーン
時差ボケで始まった、一日目。
夜明けを待って、やっと明るくなったところで、ホテルの食堂へと降りていった。
アメリカンのホテルで、朝食は別料金。しかもかなり高い。
最初の朝だけは、体験する事にしていた。
それは、まるで夕食のように、沢山のお料理をお皿に取り分けて、ワインでも欲しい位の、豪勢な朝食になった。
コーヒーとジュースは何度でも注ぎにきてくれる。
すっかり寛いで、「さて、今日は土曜日だから、のみの市にでも行ってみようかな」と、ホテルで市内の地図を貰って、もこもこの厚手のコートを着て歩き始めた。
夜は、「フィガロの結婚」のオペラが待っているので、午前中は歩き回って、その疲れはお昼寝で回復させる、という魂胆であった。
ホテルを出て歩いていると、路面電車の線路がカーブを描いている道に出た。
そうだ、40数年前、学校のレッスンが終わって、下宿に帰る途中、この線路をよく越えたなぁ、と急に記憶が蘇った。
学校に寄ってみよう。
場所は、ホテルからほど近い。
世界に名を馳せる、著名な音楽大学の入り口としては、実にささやかな両開きのドアを開けて、目の前にある螺旋階段を登り始めると・・。
予想通り、「こんにちは」と守衛さんに声をかけられた。
というか、呼び止められた、と言ったほうが正しいだろう。
「ずっと前、40年以上前に、ここの大学を卒業した者ですけれど・・。」
現場、というのは力強い。
不思議に、ドイツ語がすらすらと出てきた。
「昔の、レッスン室をみてみたいと思って・・」
と言うと、真っ白な長いひげを伸ばした守衛さんは、もう一人の人と何やら相談していたと思うと、やおら鍵を手にして、
「何階ですか・」と訊ねてきた。
何時もこの階段を上って、最初の階には教務などがあって、レッスン室は次の階に並んでいたなと、シニアは空中を指折り数えて、
「二階だったと思う」と答える。
現地では、日本語でいう二階から数え始めるので、三番目の階は、二階という表現をするのだ。
「何号室?」と鍵を探しながら訊くので、
「数字は、憶えてないけれど、一番奥のお部屋だった・・」
鍵の束がぶら下がっている、大きな輪っかを手にして、若い方の人が案内してくれた。
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