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独りディナー
水鉄砲
2018年06月23日
テーマ:思い出すままに
バーベキュー・パーティが好きだった。
アメリカに住んでいた時、夏のホームパーティと言えばまずバーベキューだった。
ドラム缶を縦半分に切って、其処に大きな網を乗せて焼く。
或いは、レンガ石を積み上げて、かまどを作る。
いずれにしろ、戸外で食べるバーベキューは最高だった。
帰国してからも、現実感の薄い私は、何処かでバーベキューセットを見つけて買い込んだ。
当時は、東京郊外に住んでいたので、近くの河川敷まで出かけたりした。
あるとき、住んでいたアパートに、誰も見向きもしない様な古ぼけた竹箒が、暫く見捨てられていた。
それを見ていた主人は、思い立ってある日持ち帰り、ベランダでギーコギーコとやっていたが、次に私が「今度の日曜日は、バーベキューに行こう!」と呼び声をかけると、主人はその竹の切れっ端を、荷物の中に入れた。
火を起こしたり、そういった原始的な行動は、主人のお得意分野だったけれど、その日はまず子供達を川べりに連れて行って、箒のなれの果てで、水を噴き上げて見せたのだった。
それは、子供達が初めて見た、水鉄砲だった。
だから彼らは当然、おもちゃは自分で作る物だと思い込んでいた。
周囲でバレー教室に通う子が多くて、羨ましかった娘は、紙とガムテープでバレーシューズらしき物を作って、一人で踊っていた。
息子は、新聞紙で鎧と甲と刀を作り、誰かに見せたかったのだろう、それをつけてクリーニングへ行く私に付いてきた事もあった。
祖母の家で、「おばあちゃま、紙ある?」「マジックは?」「はさみは?」と矢継ぎ早に要求した挙げ句、最後に「輪ゴムは、ある?」と言って、自分で描いた顔の絵を仮面に仕立てて、従兄弟達と鬼ごっこを始めた事もあった。
息子が浪人中、自室に網戸が無いと不平をいうのを聞いた父親に、「どうせお前、暇なんだから自分で作りな」といわれて、「えっ?網戸って、浪人生が自分で作る物なの?」と言いながらも、結局作った事もあった。
主人が、抗がん剤の副作用に悩まされてたとき、ネットで木工店を調べて、木材を購入して、連日ベランダで木粉の埃を舞い上がらせながら、見事なサイドボードを作った事もあった。
私にはその価値はわからなかったけれど、いらっしゃるお客様達は同族が多いらしくて、しげしげと眺めて下さって、主人を歓ばせていた。
今日は早朝ウォーキングで、よく主人と車で行った川縁で、そんなこと思い出したりしたのだった。
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ゆりかごの夢さま
長く生きていると、思い出はまるで宝庫の様です。
特に私の場合は、ブログを書いていると、どんどん昔の事が蘇ってきます。
楽しい場所なのです。
2018/06/24 13:52:15
思い出
シシーマニアさん、
今日のお話も良いですね〜
ご主人はとてもアイデアマンでしたね。
箒、網戸、サイドボード、、、
本当に思い出って、良いものですね。
2018/06/24 11:15:17