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礼拝前のオルガン奏楽 

2018年06月23日 ナビトモブログ記事
テーマ:思い出すままに

先日、教会で礼拝に出席して、オルガンの前奏を聴きながら、ふと涙ぐみそうになった。


私はヨーロッパの教会の礼拝堂で、オルガンの音色を聴くのが好きなので、滞在日に日曜日が入って居ると、出来る範囲内で、礼拝にお邪魔していた。

しかし主人は、土足で宗教の場に入って行く様な、そんな行為を嫌がっていた。

チューリッヒの教会へ行った時は、礼拝後に出口で見送る牧師さんに、「妻がオルガンを聴きたいというので・・」と申し訳なさそうに答えた後、「こんな失礼な事は、もうやめよう」と言って居たのだ。

私も、喧嘩してまで行きたいとは思わなかったから、主人が一緒の旅行では、控えるようにしていたのだが・・。


20年くらい前、主人の出張に付いてニースに滞在したとき。

仕事があるので先に帰る主人と別れて、私は独り居残って、数日パリで過ごすことにしていた。

パリに留学中の、かつての生徒に会うことも目的だったし、パリのオペラ座にある、シャガールの天井画を見たいと思っていたのだ。

それが目的で、オペラ座で公演される、バレーのチケットも既にネットで購入していた。


ニースに滞在中、午前中に仕事の無かった主人と一緒に、たまたま遅い朝食を取っていたら、足を挫いたというアンドレアさんが、姿を見せた。

会長夫人の彼女はドイツ人なのだけれど、もう長いことパリに住んでいる音楽家で、当地の教会で合唱指揮をしている。

ドイツ音楽などで、タイトルの由来を教えて貰ったり、毎年会う度に何かしら、現地の人ならではのアドバイスをして貰っているお仲間だ。


その会合は毎年、日曜日の夜のウエルカムパーティーから始まって、土曜日の午前中に終わるのが常で、解散後皆は、それぞれの国に戻るのだった。

滞在も終わりに近づくと、「何時、発つの?」というのが挨拶代わりになる。

私が、「主人は土曜日に日本へ帰るけど、私は一人で数日パリに残るのよ」と言いながら、ふと思いついて訊ねたのだった。

「日曜日にパリの教会へ行って、オルガンが聴けたら嬉しいんだけど、何処か適当な教会ご存じ?」

今回は日曜日に、一人でパリにいるから、何処かの教会の礼拝に参加しようと思っていたのだ。

するとアンドレアさんは「サン・トリニェティ教会が良いと思う。かつて、メシアンが弾いていたオルガンだから・・」と即座に答えてくれた。

「地下鉄で、この教会の名前の駅があるので、そこで降りて上に出ると、すぐ目の前に教会があるわよ」と、その名前のスペルを書いて教えてくれた。


すると、横に座っていた主人が「その名前は、宗教的な用語じゃないですか・・」と口を挟んだ。

アンドレアさんとパリで又会う約束をして、彼女が去った後、オルガン目的の教会行きに否定的な主人なのに、「きっとその教会の名前は、英語で言うTrinity だよ、三位一体という意味の・・」と、教えてくれたのだった。


私は久々に、礼拝前の奏楽を聴きながら、「サン・トリニェティ教会」で聴いた、見事な響きのオルガンを思い出しながら、同時に主人の優しさをも思い出していた。



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ゆりかごの夢さま

シシーマニアさん

再びコメントを下さって、ありがとうございました。

私は中学二年までしか居ませんでしたが、当時同級生だった主人は、高校まで住んで居ました。

友達も沢山居ますし、主人の姉妹も居ますので、私の故郷であることに変わりはありません。

大好きな街です。

2018/06/24 13:49:16

感激です

ゆりかごの夢さん

おはようございます

シシーマニア様、ご主人共に札幌のご出身なの
ですね。そういう偶然は嬉しいものです。
偶然も一つのご縁ですね。

これからもよろしくお願い致します。

2018/06/24 10:10:44

宗教の場

シシーマニアさん

現在の私は「入信の可能性のある者」として、みなさん対応して下さいます。

主人が居た頃に比べれば、立ち位置が随分変わりました。
でも、自分の気持ちは余り変わってないようにも思えます。


限りなく近いところまでは来ていても、最後の一歩が踏み出せない、といいますか。

そして、あの頃もやはり、相当近いところまでは来ていた、ともいえます。

まあ、余り焦らずに、日曜日の礼拝に参加しています。

2018/06/24 06:15:01

ゆりかごの夢さま

シシーマニアさん

コメントありがとうございました。
実は、主人も私も、ゆりかごの夢さまと同郷です。

先日は、墓参を兼ねて一週間ほど滞在しました。
子供の頃に住んでいた場所や、よく訪れていた教会など、記憶を辿りながら歩いてきました。


札幌は今も、異国情緒がありますよね。

2018/06/24 06:06:03

端緒

パトラッシュさん

宗教者が、その宗教施設を訪れた「見学者」を、どう見るか……
という事を考えてみました。
「ひやかし」と見做せば、心の広やかな宗教者とて、不快でしょう。
しかし「入信の可能性のある者」と見るなら、
その端緒を摘むようなことは、出来ないはずです。

現在の敬虔な信徒とて、かつては、入信の可能性のある者、
つまり、入信予備軍だったはず。
見学あるいは、見物でもいい。
訪れた者を、快く迎えるのが、宗教者の襟度というものではないでしょうか。

見学者の側もまた、そこが信仰の場であることを、忘れてはなりますまい。
敬意をもって臨む。
この一点さえ、おろそかにしなければ、他の目的のために、
宗教施設を訪れることは、一向に構わないのではないでしょうか。

もちろん、旦那さんの、潔癖さは尊敬に値します。
一つの見識として、そこに透徹を感じてもおります。
私には、真似できないなあぁ……という慨嘆も含めてです。

2018/06/23 13:35:27

小説の中のように、

ゆりかごの夢さん

初めまして、お伺いいたします。

教会の礼拝堂、オルガンの音色の中の
シシーマニアさん、ご主人、お友達の会話の
情景はまるで物語を読んでいるかのようです。
折に触れてご主人を思い出される貴女はとても
温かな方ですね。
札幌のカトリック系大学で学び礼拝堂のオルガンは
とても懐かしくコメントいたしました。

2018/06/23 10:57:20

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