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独りディナー
三岸好太郎美術館
2018年06月09日
テーマ:シニアライフ
札幌へ行った際、当地出身の三岸好太郎美術館へ行った。
一宮に三岸節子美術館があって、何度か訪れたことがあるので、ご主人だった好太郎氏の絵を見たいと思っていたのだ。
北海道近代美術館では、「ブリジストン美術館の所蔵展」が開催されていた。
教科書に出てくるような絵が沢山並んでいる中で、ルオーの描いた「道化師」が特に目を引いた。
人を笑わせるピエロの裏の顔、という、今なら誰でもイメージする表現の、先駆的な作品らしい。
30代後半か、うつむいた顔からは、はっきりした表情は読み取れないけど、全身から悲哀がにじみ出てくる。
この道化師にとっての、前半生の不幸とは、何だったのか。
どのような経路で、道化師になったのだろう・・。
それとも、生まれ落ちたときから、道化師とならざるを得ない環境だったのだろうか。
次第に、混んできたので、別館の三岸好太郎美術館へ移動した。
さすが、広い北海道立の美術館だけあって、別館まで5分くらい歩いた気がする。
一宮出身の三岸節子さんは、美大を卒業後、好太郎氏と結婚し、主婦の生活に忙しくて自分の創作活動は出来なかったらしい。
好太郎氏が早世した結果、一人になってようやく画家として大成した、と節子さんの美術館で読んだ記憶がある。
その、好太郎氏の作品である。
三点の作品が、並んでいた。
私の様な素人にも、一見して誰の影響を受けているかわかるような作品たち。
アンリー・ルソーと、岸田劉生の麗子像に、ルオーの道化師。
こんな絵を描いていた夫の、節子さんは犠牲になっていたのか・・。
何となく、私は悲しくなってきた。
私が、絵の近くに寄りすぎていたらしく、学芸員風の人に注意されたので、「何歳で亡くなったのですか?」と訊いてみた。
31歳、か。
世の中には早熟な人も居るけれど、31歳では道半ばだよなぁ。
そして、90歳位まで長生きした節子さんは、一人になって、夫の画業を受け継いだのだろうか。
私がはじめ、三岸節子さんの名前に惹かれたのは、肉腫で右腕を失った後も左手で描き続けた、三橋節子さんと勘違いしたのが発端だった。
短くて壮絶な生涯を終えた、三橋節子さんの「三井の晩鐘」が見られるかも、と考えたのと、一宮に一人で行ってみたかったのだった。
其処は、他に誰も観客が居ない様な、アクセスの悪い美術館ではあったけれど、三岸節子さんが60歳を超えて、フランスに移住し、20年位住み続けたという経歴にまず圧倒された。
その時に展示されていた作品は、フランスの片田舎に住んでいた頃に描かれた風景画だったけれど、私には絵そのものより、その人生が強烈だった。
今回、好太郎氏の作品を見ながら、このご夫婦は、二人で画家としての人生を、前半と後半とで分担したのかもしれないな、等と思ったりした。
素敵な半日が過ごせた、美術館であった。
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