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独りディナー
気配と共に
2018年06月09日
テーマ:シニアライフ
最初に主人から病気のことを聞いた時は、まず二人の老後生活はないのだと、自覚した。
でも、今まで何でも我が家のことは管理してくれている主人の事だから、自分の体力が無くなる前に、一緒に私を連れて行く算段をしてくれるだろう、と思って安心していたのだ。
手術をして、一応日常生活に戻れた頃だったか、一緒に連れて行ってくれるでしょう、といった事を口にしたことがある。
やはり私は、その時もまだ、主人という人間を理解できていなかったのだ。
主人には、逃げようという気持ちは、全くなかった。
むしろ、「死にたかったら、自分で死にな」といった返事が戻って来た。
主人と一緒の生活で、何度自分の軽薄さを反省したかわからないけれど・・。
不治の病を抱えている人に、何と言うことを押しつけようとしたのだろう。
それからは、主人と一緒に病と付き合う覚悟を決めた。
でも、問題は、その後である。
主人は、自分の人生を完成させたというのに、今の私は「生きてるだけが、まるもうけ」ではないか・・。
文字通り、余生である。
今の私にあるのは、最低限子供達に心配をかけない、という基準だけである。
先週、故郷へお墓参りに行った。
最初は義姉と一緒に。
義姉は、お花やろうそくなどを持ってきてくれたので、いつも通りのお墓参りの気分だった。
二度目は、数日後にやってきた息子と一緒に、再度お墓へ行った。
お墓の両側に、息子と私が立った写真を、息子が撮ってくれたので、すぐ娘にLINEで送った。
写真を見ながら、お墓参りとは、亡くなった事を確認する事なのかもしれない、と思った。
いつも主人の気配を感じて生活しているのに・・。
これから暫く、お墓へは行かないだろう、何となくそう思った。
明日は、娘夫婦息子夫婦と共に会食をする。
私達の40回目の結婚記念日である。
15年前に、銀婚式のお祝いをした同じ場所を、予約した。
これから、余生が始まる。
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そうですね
余情、余韻、綺麗な言葉ですね。
余生という言葉を、どんな風に意味づけるか、本人次第とも言えますね。
あくせくせずに、余生を楽しみたいと思います。
気を遣って下さって、ありがとうございます。
やはり、主人の事をそんな風に言って戴くと、嬉しくなります。
2018/06/09 17:15:13
余生だって「生」の内
文学、音楽、美術などにおいて、大事なのは余情です。
余韻です。
「余」のつくものを、軽く見るべきではありません。
人生も同じ。
余白があって、初めて人生と言う名の絵が、完成するのでは、ないでしょうか。
旦那さんは、志操堅固な方だったようです。
特に、自らを律することにおいて……
ご自身を客体視され、命に連綿としないところにおいて、
何人かの歴史上の人物と、重なるところがあります。
(例えば、大村益次郎など)
それは、遠望するだけでも、清々しいものがあります。
2018/06/09 14:03:47
ゴクさん
奥様の闘病中ですか。
>病んでこそ深まる境地あり
に近いですね。
余生と言う言葉は、色々な解釈が出来ますね。
息子は、私の余生を「野に放たれた、野犬」と言ってます。
私は、余生を受け入れて、享受しようと思っています。
でも、同時に、今その余生が終わっても、心残りはないんですよ。
2018/06/09 11:12:27
余生
人生に余生なし
老いてこそ広がる世界あり
病んでこそ深まる境地あり
人間死ぬまで育ちざかり
*****
妻が闘病していた頃のことです。
越中八尾の寺で見付けた、好きな言葉です。
ブログを拝読し、久し振りに思い出しました。
2018/06/09 09:48:07