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独りディナー
第一歩
2017年08月15日
テーマ:シニアライフ
子供が小さかった頃は、お盆休みと言えばいつも、一週間位札幌に帰省したものだ。
当時は未だ少なかった有給休暇を、主人は率先して取ってくれた。
義妹の家も、長い休暇をとって帰省していた。
札幌在住の義姉は、それぞれ帰省してきた甥や姪達が楽しく過ごせる様に、と色々企画して待っていてくれた。
水泳教室を申し込んだり、ニセコや大沼などのホテルに、出かけて皆で数日を過ごしたりもした。
揃ってお墓参りにも行ったけれど、お盆とは従兄弟達が集まって遊ぶ時、という位置づけは、私自身の子供時代を思い返しても、ずっと引き継いでいる気がする。
本来の意味から外れて、お盆に関して、夏休みのハイライトといった感覚があるのは、歴史の浅い北海道だからなのだろうか。
迎え火とか、送り火も、私には小説の中でのでき事で、実際に見たことは無いのだ。
帰省しなくなったのは、何時の頃からだろう。
子供達が独り立ちをして、私達の方が、彼らの戻ってくる日を待つ立場になってからだろうか・・。
主人もかつては、周囲にその潔さを羨ましがられる程、休みを取っていたのに。
老夫婦の生活になってからは、祭日であろうと休日であろうと、何かにつけて職場へ出かける様になっていた。
研究者だから、それは家に居るより、職場に居た方が環境的に過ごしやすいのだろう。
主人の部屋の南側には、図書館前の庭園が広がっていて、居心地が良さそうだった。
気づかぬうちに老夫婦の生活からは、季節感こそあったものの、カレンダーに載っている様な日常感覚が、次第に薄らいでいったのだ。
昨日は、主人の月命日だった。
札幌の義姉から、綺麗なお花が届いた。
それは、新盆であるからの心遣いであったのかも知れない。
でも、義姉は主人とよく似ていて、言葉には出さない気遣いの深い人である。
無宗教で葬儀をした私に配慮して、あえて命日にお花が届く様に手配をしてくれた、その義姉の気持ちが、しんしんと伝わって来た。
葬儀の後、「姉を差し置いて、先に逝った弟」というメールをくれた義姉には、配偶者と別れた私とは違う寂しさがあるのだろうと思った。
昨日は、主人が旅立って、初めて悲しさの第一歩がやってきた様な気がした。
まだ、第一歩・・。
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吾喰楽さん
コメントありがとうございました。
いつも、暖かい心遣いありがとうございます。
何となく、宙に浮いた毎日を過ごしている気分がします。非現実的、と言うのでしょうか。
一つずつ、経験しながら、時が過ぎていくのでしょうね。
2017/08/15 23:10:53
二ヶ月
こんにちは。
当地、梅雨のような天気が続いています。
猛暑も困りますが、日照不足だと、農作物への影響が心配になります。
確かに、まだ、第一歩ですよね。
今までは、事務的な処理や、挨拶などに追われていたと思います。
ご自分の体調の維持を、最優先に考えて下さい。
そして、当分は、気の赴くままに、過ごされては如何でしょうか。
2017/08/15 15:34:50