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独りディナー
私にとっての、パリ
2017年03月03日
テーマ:旅
パリという響きには、なんとも言えない魅力がある。
一度ゆっくり滞在してみたいと思うけれど、フランス語は私の生活範囲から余りにほど遠くて、多分これからも、その機会は無いだろう。
ずっと昔、留学時代。
母親がヨーロッパ観光旅行のグループで、ウィーンにやってきて、その後パリで合流したことが有る。
私は、夜行列車に乗って、ウィーンからスイス経由でパリまで行ったのだ。
寝台車で同室になったスイス人の女の子は、お父さんがイギリス系なので、スイスの公用語であるドイツ語フランス語イタリア語の他に、英語も話す、と言っていた。
「じゃあ、例えば本は、主に何語で読むの?」と訊ねると、
目の前にある本を、手にとって読む、んだってさ。
夜が明けて、寝台車の席がオープンになったら、同じ車両の近くの席に、東洋人のおじさんが座っていた。
「ねえ、私があなたの名前を一度呼んでみるから、あの人がもし日本人だったら、きっと気づくよね」と、彼女は言う。
私の名前は、日本の女性によくある名前なのだ。
因みにその時は、ウィーン留学中だったので、私達は一応、ドイツ語でおしゃべりをしていた。
私はキャパが狭いので、その後の会話に熱中していたのだろう、突然彼女に名前を呼ばれて、ちょっとびっくりした。
驚いて彼女を見ると、目が笑っている。
そして、思惑通り、そのおじさんが「日本の方ですか・・?」と声を掛けてきたのだった。
その人は、台湾の人で、私達より上の世代の人々は、日本語に精通しているのだ。
勿論歴史的な理由があるから、話したくない人も当然居るだろうけれど、まあ私達が若い女性だったから、相手になったのかも知れない。
明るい電車の窓からは、スイスの壮大な景色が次々と流れていくのが見えて、それは楽しいおしゃべりだった。
パリに着いたら、お昼過ぎにオルリー空港に着く母を出迎えに、駅からはタクシーに乗った。
言葉のわからない、初めての土地では、やはり頼りになるのは、タクシーである。
パリには、留学中の従姉妹や、大学の同級生がいたので、事前に連絡を取って、会う手筈をとっていた。
母は、団体行動より、現地での自由行動が楽しそうだからと、当然私と行動を共にする。
その晩は、友人の話では、オペラ座で「トスカ」の公演があるというので、皆で観に行った。
今は知らないが、その頃オペラ座には「見えない席」というのがあり、学生達は其処の常連だった。
ウィーンの立ち見席は、見えるけれど座れないから、まあどちらもどちらであるが。
いずれにしろ、貧しい学生が毎晩のように通えるシステムは素晴らしい。
オペラ座では、偶然その夜ドミンゴが歌っていて、見えないながら、素晴らしい歌声を堪能した。
そこで、他の同級生にもバッタリ出会って、パリには魚市場があるので、結婚している彼は、奥さんがお寿司を作るのが得意だから、と招待してくれた。
翌日の母の観光予定は、一日ベルサイユ宮殿だったが、たまたま、友人がベルサイユにある音大で、その日の午後からレッスンがあるという。
留学生の二人は未だ、宮殿の見学はしていない、と言うので急遽、皆で午前中は宮殿へ行き、そこから友人の学校へ一緒に行って、彼のレッスンを聴かせて貰うことになった。
そして、最後にはバッタリ会った友人のお宅へ行き、お寿司パーティを開く、とすんなり話がまとまった。
宮殿の記憶はあまり無いのだけれど、その後に見せて貰った、打楽器の友人のレッスンは素晴らしかった。
曲は、バルトークの有名な、「二台のピアノと打楽器の為のソナタ」で、友人が、翌年の国際コンクールで優勝したほどの素晴らしい演奏家なので、それは緊張感に溢れた中々得がたい経験であった。
先生が又、若いパリジャンと言った風情で、最後に模範奏なさった姿が、いかにも格好良かったし。
レッスンの後は、友人の彼もすっかりくつろいで、皆でお寿司パーティへと向かったのだった。
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グリコ
初めて聞きました。
私も、この表現使わせて戴きます。
とりあえず、科学はグリコだし、掃除も殆どグリコです。
貯金もグリコだし、ダイエットもグリコだし・・。
数え出すと、楽しいです。
2017/03/05 08:49:15
追憶モード
おはようございます。
追憶モード、大いに結構。
ご本人にとっては、宝物です。
私は海外旅行の経験が少ないのです。
新婚旅行で香港とマカオ、アメリカは仕事と遊びで各一回、都合三回です。
少ないだけに、それぞれ、よく覚えていますが。
私は、片言の英語だけで、語学はグリコ(お手上げ)です。
だからか、尚更、海外旅行の経験が少ないのです。
2017/03/04 09:43:52