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キャリオン「チェーンブログ、再び」 

2017年02月25日 ナビトモブログ記事
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彩さんの、チェーンブログを読んで、あれから大分時間が経つけれど、私は自分の中でずっと一人、スペインやポルトガルを彷徨っていた。


司馬遼太郎の「南蛮のみち」を読んだり・・。


思い出してみると、これも主人のお供だけれど、ポルトガルの古都、シントラを訪れた際に、この本に初めて出会ったのだ。


土曜の朝に成田を発って、パリ経由でリスボンに着いたときは、既に日が暮れていた。

そこからは、主催者の案内通り、タクシーに乗ること一時間、やっと到着したシントラの街が、暗闇の中に浮かぶ、朽ちかけた古都という風情で、その姿を現したのだった。


ウエルカムレセプションは、いつも日曜日の夜に開催されるので、出張で来ていた主人も、日曜日の昼間は唯一暇な時間で、一緒にヨーロッパ西端の地、ロカ岬を訪れることにした。

ホテルを出て、ぶらぶら歩いていると、「estacao」と書かれた矢印着きの看板が目に付いた。

「あれは多分エスタサォーンといって、駅という意味だよ」と私が言いながら、すたすた歩いて行くと、本当に駅舎にぶち当たったのだった。

「おー、さすがポルトガル語を習いに行った成果だなあ」と褒められて、私はすっかり良い気分になった。


まあ、語学を習いに行って、役に立ったのは、滞在中その時だけ、だったけれど・・。


ロカ岬は、私には普通に岬だなあ、位の印象しかなかったけれど、そこで入った簡易レストランのことは、強く記憶に残っている。


テーブルの上にあった、ハインツ製ケチャップの容器が、抽出口を下にして置かれていたのだ。

これは、容器を製造する時の、アイディアだろう。

私も、通常ケチャップやマヨネーズなど、冷蔵庫内で保存するときには、量が少なくなってくると、容器を逆さまにしているので、我が意を得たりであった。


その旅先で、私はキャリオンの演奏会を初めて聴いた。


主催者側が、夜のエンターテイメントとして準備してくれた中に、「ファド・レストラン」などと並び「キャリオン・コンサート」が掲げられていたのだ。


ヨーロッパに行けば、皆さんお馴染みなのだろう、位に思っていた私は、むしろ逆に、「あなた、音楽家よね。キャリオンってどんな楽器?」と訊ねられる始末。


と言うわけで、解らぬながら皆でバスに乗って行った先は、古いお城であった。

立派な図書室や、色々な部屋を見学した後、次に案内されたのが、隣の教会であった。

見ると、中庭を囲んだ回廊に、椅子が並べられてあった。


各々、着席をすると、低い鐘の音が響き始めた。


よく耳をそばだててみると、それはバッハのオルガン曲「パッサカリア」のテーマであった。


「えっ? まさか」

鐘の音が、あの壮大な、名曲でもあり、難曲としても知られている「パッサカリア」を演奏するのかしら・・。

まるで、半信半疑の私を翻弄するかの様に、続いて鐘の音が次々と重なり合いながら、中庭いっぱいに、バッハの音楽を鳴り響かせていったのだ。


その教会は、何年も子供に恵まれなかった王様が、やっと後継者に恵まれて、感謝の気持ちで建てられた教会だった。


神聖な建物が持つ荘厳な空気と、しばらく城内を歩き回った後の心地よい疲労感と、初めて聴く響きの新鮮さに包まれながら、私達はコンサートを味わった。

選曲が良かったのだろう。

単なる物珍しさが、バッハの名曲を演奏したことにより、一気に芸術へと高められた気がする。

皆が拍手すると、高い窓から手を振っているおじさんが見えた。

どうやら、キャリオンとは、丁度パイプオルガンのパイプの代わりに、キャリオンと呼ばれる鐘が沢山並んでいる楽器らしく、奏法はオルガンと大体同じということだった。


日本に戻って来て、キャリオンに付いて調べてみたのだが。


ある日、新宿の小田急デパートへ行った時。

正面口の前の道路に、かつての小田急ハルクへと続く陸橋があって、それが「カリヨン橋」と名付けられている事に、気づいたのだった。


そして、そこから見える、ハルクの建物にある大きな絵時計が、毎時(?)カリヨン(キャリオン)の響きで、時を告げていたのだった。



どうやら無知とは、時折、想定外の喜びに遭遇させてくれるものらしい。



追記:
最近、新宿へは行ってないけれど、あの大きな絵時計は、今も、キャリオンの響きで時を告げているのかしら・・。



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彩さん

シシーマニアさん

思春期を、ミッションスクールで過ごす、というのは、きっと、日本社会の中で、特異な経験をされた事でしょうね。

子供の時に、天使病院のお医者さんのお家と、家族ぐるみで付き合っていました。
其処には付属の看護学校もあり、学園祭ではいつも宗教劇を見せてくれました。
それは、子供たちが中をのぞける、年に一度の機会でもありました。

その異国情緒な学園の雰囲気は、今でも強く記憶に残っているのです。
今から思えば、修道院も隣接してたのかも知れませんね。沢山のシスターがいました。

子供の時はすっかりその姿に憧れて、大人になったら修道女になる、と宣言していた気もします。

2017/02/27 10:37:57

漂う…

彩々さん

シシーさん、また、Blogの続きを書いて
くださってありがとう!

あれから私もしばし、自分だけの想い出の
時間を楽しんでいました。
炬燵の中でという、とても和風の
スタイルで(笑)

でも居ながらにして、ファドやキャリオン
という名に出逢えて、どんどん楽しくなって
行きます。

>少しできるようになったのは、無知を晒すことに、余り臆病ではなくなった事くらいです。

うん、うん、私もそれに大いに頷けます。
このシニア・ナビの皆さんのBlogから
得ることが多く、今更にして勉強させて
頂いている気分です。

PS…

私の街の最寄り駅からの陸橋傍に
「カリヨン館」というビルがあり、
カリヨンの意味を知ってはいましたが
ただの雑居ビルと言った所です。
複数の鐘が鳴り響くというイメージは
皆無なビルでして…
がっかりしたままです。(笑)

2017/02/26 07:37:08

師匠!

シシーマニアさん

「既知でないだけ」って、素敵な発想ですね。

>知識は積みつつ、しかし、心は常に「無」でありたい。

これは、齢、70を目前にしても、中々到達できません。
少しできるようになったのは、無知を晒すことに、余り臆病ではなくなった事くらいです。

でも未だ、「余り」ですが・・。

2017/02/25 14:01:24

澪さん

シシーマニアさん

コメントありがとう。
読んでくれる人が居る、って、やはり嬉しいですねえ。

旅した気分になって下さいましたか・・。

勿論人によるけれど、ご家族が海外に住んでらっしゃる体験も、第三者にはとても興味深いです。

2017/02/25 13:52:35

無知の効用

パトラッシュさん

無知=愚か とは違います。
既知でないだけ。
なまじの概念がないだけ、より大きな、感動に達せられます。
その一つの例でしょう。

私達は、なまじの知識や、思い込みにより、如何にその目を、曇らせていることか。
耳を雑音に、馴致させていることか。
知識は積みつつ、しかし、心は常に「無」でありたい。
感動を受け入れるスペースを、広く保ちたい。
と願いつつ、凡愚の悲しさ、その境地には、なかなか至れないのですがね。

と、何やら、えらそうな事を書きました。(冷汗)
シシーさんの紀行文は、楽しいです。
是非、お続け下さい。

2017/02/25 12:30:14

知らない土地でも

澪つくしさん

何時もシシーさんのブログで
ヨーロッパを旅してる気分ですよ〜♪

私は不思議なくらいヨーロッパにはご縁が無くて・・・





 

2017/02/25 12:02:26

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