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敏洋’s 昭和の恋物語り

ボストン美術館と名古屋市博物館巡り 

2016年08月20日 外部ブログ記事
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コロー作 花輪を編む少女

まず、左奥の建物を見てほしい。
ローマの、ヴィラ・メディチらしきものらしい。

絵の中のヴィラではないけれど、

アルベルティ風の Villa Medici in Fiesole(フィエーゾレにあるメディチ家のヴィラ)

*ヴィラ(Wikipedia より)
ヴィラまたはヴィッラ(villa)は、本来は上流階級のカントリー・ハウスを意味し、古代ローマが起源だが、ヴィラの概念と機能は時代と共に発展してきた。
共和政ローマが終焉を迎えるとヴィラは小さな要塞化された農場の複合家屋となっていったが、中世を通して徐々に再発展し、贅沢な上流階級のカントリー・ハウスとなっていった。
現代では、特定の種類の一戸建て郊外住宅を指す。

*メディチ家(Wikipedia より)
メディチ家(メディチけ、イタリア語:Medici)は、ルネサンス期のイタリア・フィレンツェにおいて銀行家、政治家として台頭。
フィレンツェの実質的な支配者として君臨し、後にトスカーナ大公国の君主となった一族である。
その財力でボッティチェリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ヴァザーリ、ブロンツィーノ、アッローリなどの多数の芸術家をパトロンとして支援し、ルネサンスの文化を育てる上で大きな役割を果たしたことでも知られている。
歴代の当主たちが集めた美術品などはウフィツィ美術館などに残され、また、ピッティ宮殿などのメディチ家を称える建造物も多数フィレンツェに残された。
これらは、メディチ家の直系で最後の女性アンナ・マリア・ルイーザの遺言により、メディチ家の栄華を現代にまで伝えている。
一族のマリー・ド・メディシスはブルボン朝の起源となった。

では本題に。

伏し目がちに佇むかわいい少女だ。
恥じらいながら花輪を編んでいる。
誰かへの(恋人へ?)贈り物にするつもりか、或いは自分の髪飾りにするのだろうか。

黒いドレスの下、白い肌着が悩ましく感じたのは、わたしの品性のなさ故だろうか。
ほっそりととがったあごが、実に美しい。

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