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プーシキン美術館との出会い 

2016年08月19日 ナビトモブログ記事
テーマ:思い出すままに

とにかく私は、車から降りなければと思い、まず日本から持参していた、紙製のお土産用の小物、唐傘のミニチュア等をいくつか素早く運転するお兄さんに渡した。

そして、彼がお土産に気をとられている間に、何とか車のドアを開けて、急いで降りたのだった。


もしかしたら彼は、本当に空手が好きな人だったのかもしれない。

場合によっては、自由な西側よりも、市民警察などが張り巡らされている共産圏の方が、犯罪は少ないのかもしれなかったのだが・・。

そのまま一緒に行ったら、色々な人に出会えて楽しい時間が過ごせたのかもしれない、とも今は思う。


しかし若い分際で、危ない橋を渡るわけには行かない。



その後、タクシーに乗った経緯は、覚えてないけれど、多分難しい事では無かったのだと思う。

添乗員が、タクシー用にと、メモに書き付けてくれたくらいだから。


その日、私達は、トルストイの生家を見に行く予定であった。


ガイドブックなども無い頃だから、モスクワの見どころなんて知りようも無かったし・・。

そして、トルストイの生家へ行くために乗ったタクシーが、「ここだよ」と、私達を下ろしたのは、成る程素晴らしく大きくて立派な建物であった。

さすが、貴族だったというトルストイ家は、スケールが違う。


入ってみると、文化的な造りで、絵も沢山飾られていた。


私はそれまで、宮殿というものを見たことが無かったし、貴族の館とはこんなものかと、その豪勢さに驚いていた。


それにしても、どの部屋にも絵ばかりが並んでいる。

そのうち、日本人仲間の一人が、「凄い絵が並んでるよ」と手招きしてくれた。


其処には、日本を出る前に、新聞か雑誌で見た覚えのある、マチスの金魚鉢の大きな絵画が飾られていたのだった。


どうやら私達は、美術館、それも貴重な作品の飾られている美術館に紛れ込んだようだったが、そんな事はもう、どうでもよかった。


それは私にとって初めての、ヨーロッパの美術館体験であったから。


それから何十年か過ぎて、くだんのマチスの絵が来日したときに、私はその美術館が、「プーシキン」と言う名前であることを知ったのだった。



そして、もしかしたら、「トルストイ、トルストイ」と私達が口々に告げているのを聞いたタクシーの運転手が、「こいつら、プーシキンと間違えてるな」と、親切心を出して、その名の付いた美術館へと連れて行ってくれたのかもしれない。


言葉が通じないというのは、思いがけない結果へと導いてくれるものだ。


その後にも、言葉が通じなくて泣きたくなるような場面は沢山あったけれど、その結果はいつも思いがけなくて、我が人生の糧になっている経験も決して少なくはない。



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男子は、冒険できますよね

シシーマニアさん

彩さん、コメントありがとう。

そう、女子の「売られるかも・・」と言う発想は、男子にはないのでしょうね。

男子の場合は、行き着くところは一気に「殺されるかも・・」だからまあ、女子に比べればガードは甘いんだなぁ、とつくづく思いました。

結局、よくは知らない男子に、甘えていたんですね。

2016/08/22 20:09:38

それもひっくるめて

彩々さん

シシーさんの人生(まだまだ続きますが)、色々な意味でも
恵まれた人生だと思います。

>場合によっては、自由な西側よりも、市民警察などが張り巡らされている共産圏の方が、犯罪は少ないのかもしれなかったのだが・・。

何事もなく、ほんとうに良かったです!
一つ間違えば、売られていたかもしれないのですから(笑)
素晴らしい美術館である「プーシキン」と出会うことが
なかったかもしれません。

私もシシーのこの事件(?)を読ませていただいて、
思い出しましたわ。
高校生の時、仲良し3人組で六甲の山をハイキングして
一休みしていたら、「車に乗せてあげるよ」と…、いわゆる
兄ちゃん二人が声をかけて来ました。
人を疑うことを知らないミッションスクールの私達は
乗ってしまったのです。
乗ってしまってドキドキ。
車の兄ちゃんたちもドギマギしてました。

良い時代だったのですね。
何事もなく駅まで送ってくれて、売られないで
済みました〜!(大笑い)

2016/08/21 06:40:14

閑散とした場所は、良いですよね

シシーマニアさん

ミル姫さま

多分、モスクワではプーシキン美術館は観光名所だったのでしょうね。素晴らしい絵が沢山あったから・・。
「よく知らない東洋人が、作家の名前を間違えたな」と思われたのでは無いかしら・・。


美術館に対する印象も変わりました。

まず、人が殆ど居ないのが嬉しくて・・。
ソ連では、人口密度が低い、というのを目で見た感じがしました。

2016/08/20 13:31:55

言葉が通じなくとも

ミルフィーユさん

トルストイと言ったのに、プーシキンと間違えるなんて!(笑)
トルストイの生家を見られなかったのは、残念でしたが、結果素晴らしい絵画を鑑賞できて、良かったんですね。
言葉が通じなくとも、何とかなるという大きな経験は、その後のシシーさんの人生に、何か大きな道標を示されたのではないでしょうか、、、、そんな気がします。

2016/08/20 12:38:36

スッパシーボと、千葉水郷、ですね

シシーマニアさん

村雨さん、コメント前回に引き続き、ありがとうございました。

お友達がシベリア鉄道に乗られたのは、私の移動時と数年程度しか違わないのですね。

フルシチョフ時代と、ブレジネフ時代の違いかしら。
ブレジネフになってから、強権的な印象が強いのですけれど・・。

当時は、ソ連の上空もアエロフロートしか飛べず、ヨーロッパへはアンカレッジで乗り継ぎ、と言うのが一般的でしたし。

「スッパシーボ」ですか・・。
成る程、「千葉水郷」に響きが似ていますね。


思わぬところで、情報が増えて、楽しいですねぇ。

2016/08/20 11:25:22

若いとき

さん

怖いもの知らずで、いい結果になってよかったですね。

2016/08/20 08:34:41

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