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独りディナー
雑多な思い出、ワシントン
2016年06月29日
テーマ:アメリカ
初めてワシントンへ行った時は、無謀にもホテルの予約はしていなかった。
未知の場所で色々苦労した筈なのだが、脳天気な私の記憶には余り残っていない。
只、ホテルに着いてすぐ、パンパース(当時は紙おむつの代名詞であった)の大きな箱の横で、生後7ヶ月の息子にミルクを飲ませている写真を見ると、乳幼児の母としては、ちょっと気がとがめる。
ホテルを探している合間、赤信号で車を止めると、周りに黒人が何人も集まってきて、ラジカセ(?)を大きく鳴らして踊りながら、アピール仕掛けてきた。
幸い、車は密室だから何とかやり過ごせたけれど、それは結構、怖い経験であった。
どうやら経済的に恵まれない黒人達の多くは、大都市に集まっているらしい様子が、実感できた瞬間だった。
翌日のランチは、ポトマック川沿いにある、船の形をしたレストランへ入った。
幼児二人を連れて、よくオーケーしてくれたなと、今になると思うのだが、やはり私たち自身で場違いさを感じたのだろう。
それ以降の旅行では、マクドナルドやバーガーキングといった、ファストフードのお店に入る事にしたのだったから・・。
でも、そこのレストランで注文した、クラムチャウダーはとびきり美味しかった。
そして、近くのテーブルで、美味しそうな大きなエビのお料理を前にして、ワインのグラスを傾けながらフランス語をしゃべっていたグループは、ちょっと忘れられない。
ラテン系の人たちは、私のように、隣の芝生が青くみえる人種からみるとは、いつも楽しそうな様子にうつるのだった。
今にして思えば、あれはきっとロブスターだったのだろう。
子連れなので、余り色々見物はしなかったけれど、リンカーン記念館の大きさにはびっくりした。
社会の教科書に載っていたから、写真を見た覚えはあったけれど、あれほどにも、でかかったとは・・。
アメリカで、ことごとくびっくりさせられたのは、建造物や銅像の、度肝を抜くほどの大きさだった。
資源の沢山あるアメリカだからこそ、成立する発想かもしれないのだが、それは成金趣味の度を遙かに超えていた。
「アメリカ、イズ、ナンバーワン!」と言うプライドが、ひしひしと伝わってきた。
ワシントンの市街を歩いていると、西部劇にでも登場してくる様な服装の人たちが数人、家から出てくるところだった。
周りを眺めてみると、見物人らしき人たちも居たし、カメラや照明の器具などを携えている人たちが見えたので、どうやらそれは何かのロケらしい、とはわかった。
ミーハーの私は、息子を乗せたバギーを押していることも忘れて、その光景に見ほれていると、突然目の前の道路で泣き声が聞こえた。
はっとして、視線を下ろすと、歩道から車道への段差でバギーから転げ落ちた息子が、地面で泣いていたのであった。
それから暫くの間、主人は息子を抱きかかえたまま、私に渡そうとしなかったなぁ。
リーンカーンの大きな像の前の記念写真も、息子は優しい父親に抱かれて写っている。
ワシントン最大の観光名所、ホワイトハウスへは行った。
記憶に残っているのは、歴代のファーストレディ達の肖像画が飾られていた部屋。
肖像画ではなく、ラフな服装の写真を飾っていたカーター夫人からは、その主義主張が伝わってきた。
そのときはまだ、省エネを推進していたカーター大統領の時代であった。
まるで妖精の様な絵が飾られていたジャクリーン夫人の絵の下(だったかな・・?)には、「ジャクリーン・ケネディ・オナシス」と書かれたプレートが貼られていた。
大統領選挙に当選したものの、まだ就任式を終えたいなかったレーガンさんの夫人も、そのときはまだ写真が飾られていただけであった。
後に、ゴージャスな肖像画に差し替えられたのは、言うまでもない。
それは、ジョン・レノンがニューヨークで暗殺された直後の、冬のことであった。
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ほら吹きばあさんには、なれませんね。
彩さん、こんばんは。
そうなのです。書き始めると、しつこいほどに記憶が蘇ってきます。
でも私のは、追憶で、創作ではないのが、ちょっと寂しいところです。
これだけ、ほらを吹けたら楽しいだろうなぁ。
2016/06/29 21:46:05
書きながら、思い出しています
師匠こんばんは。
考えてみると、私の周りにはネタが結構あったようです。
書くという行為は、昔日を思い起こさせてくれるなあ、といつも思います。
でも、ひとたび文章にしてしまうと、記憶はおぼろげになっていきますね。
まあ、いいとこ取り、ともいえますけれど。
2016/06/29 21:43:33
また、書く意欲が
戻ってきましたね!
だって、スラスラこちらに入ってきます。
一緒にホワイトハウス内を見学しているような
錯覚さえ感じます。ワクワク。。。
2016/06/29 16:15:45
いいですね
物珍しいネタには、余計な味付けを施さない。
平凡な素材においてこそ、味付けに工夫を凝らす。
文章を料理に喩えれば、こうなります。
シシーマニアさんのアメリカ滞在記は、当然前者です。
淡々と書く。
過剰な修辞を施さない。
これで十分に、読者のインタレストを、満足させることが出来ます。
楽しいです。
続編を期待しております。
2016/06/29 13:34:35