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従妹の、その後 

2016年06月02日 ナビトモブログ記事
テーマ:思い出すままに

大学では理学部に進んだ従妹は、あのユーモアだし、沢山の男子学生に囲まれて、楽しい学生時代を送ったらしい。

更に大学院へ進学したものの、一方で先輩と結婚した従妹は、お婿さんの仕事の関係で、アメリカの大学へと留学してしまった。

丁度少しあとに、私も主人の仕事の関係でアメリカへ転居してしまったので、自分の事にかまけて暫くは、従妹たちの事は念頭から離れてしまったのだが・・。

従妹のお婿さんにとって、アメリカでの生活が余程ストレスになったのか、結局彼は日本に戻ってきて急逝してしまったのだ。

従妹がまだ、30歳になる前の事だった。

そのあとは、彼女の周りに、多分助けてくれた人が大勢いたのだろう。

従妹はやがて、実家から比較的近くにあった、筑波の研究所に勤め始めたのだった。


叔父が亡くなった後は、叔母と二人で「世にも明るい未亡人達」などと自らを揶揄しながら、理学博士として、60歳の定年まで研究所を勤め上げたのだったが・・。


詳しい成り行きは知らないけれど、その従妹が50代半ばくらいで難病に罹ったらしい。

私がそれを聞かされたのは、お兄ちゃんの方が急逝した、その葬儀の日であった。


叔母からある日電話があって、息子が亡くなった、と告げられたのだ。

私は突然のことで動揺してしまって、詳細を訊くゆとりもなかった。

その時のことは、このシニアナビ入会後すぐに、「従弟の奥さん」「従弟の結婚式」「従弟の家族」というタイトルで、三日間続けて書いた位に、その衝撃は大きい。


従弟のお通夜に参加した後、彼の奥さんが自宅に泊まるように誘ってくれた。

叔母や従妹など、近親者だけだと、もっと悲しくなるから、と言って・・。


葬儀の日の朝、叔母の血圧が異常に高くて、葬儀に参加するのを諦めたとき。

私も、叔母を一人にするのが心配で、一緒に従弟の家に残ることに決めたのだった。

実感がない、というその言葉通り、叔母と私の二人は、四方山話で時間を潰した。

その時に、叔母から従妹の病気の事を知らされたのだった。

発見時に、余命は5年くらいと言われたらしいのだが、それから既に5年が過ぎているのだと、更に聞かされた。

高齢の母親と、病気を抱えた妹と、従弟は自分が最後まで支えるつもりでいたらしいのに、その彼が、真っ先に逝ってしまったのだった。


従妹は三才上のお兄ちゃんとは、とても仲が良かった。

特に、叔父が地方に転勤になった際、通学の関係で、高校一年だったお兄ちゃんと、中学一年だった妹の二人だけが家に残り、寂しい生活を二人で乗り越えた、まるで戦友の様な体験は、二人の絆を一層強いものにしたのだろうと思う。


葬儀から戻った、喪主であった従弟の奥さんと、従妹に、私は彼女の病気の事を聞いたとは言いたくなくて、「結局二人で、昔話をして笑いながら時間つぶしをしていたんだけど・・」と言い訳の様に言うと、従妹は、

「お母さんの相手をしてくれる人は、他にもいたかもしれないけれど、一緒に笑ってくれる人は、○○ちゃんしか居ないからね・・」と、私を労ってくれたのだった。


それから、私は従妹を慮るよりも、亡くなった従弟の奥さんの事が気になって、暫くは時折電話をしていたのだが。

あるとき、叔母に電話をすると、長いコールサインの後にやっと出てきた従妹は、叔母が軽い脳溢血で入院しているのだ、と言っていた。

認知症も併発していて、お兄ちゃんが亡くなった事もわかっていないらしい、とも言っていた。


それが4年前の昨日。

従弟の奥さんから、義妹が亡くなったという、知らせが届いたのだった。

唯一の身内である叔母は、施設に入っていて、娘の死を到底知らせる状態ではなかったらしい。

結果的に、葬儀に出席した中で、最も近い親族は、従姉の私と弟だけだったのだ。

従妹は、29歳で夫に先立たれ、それからの30年間はず〜っと、母親と二人で暮らしてきたのだ。


研究職だから、独身で通す様な人もいる環境だったのかもしれない。

だが、分野こそ違え、たまたま我が家の主人と似た様な仕事をしていただけに、私は従妹に対して、腫れ物に触るかの様な気後れがして、あえて踏み込んでいく勇気もなく、一度も彼女の為に何かをした覚えがない。


時折、叔母の家に泊まりに行って、衰えを知らない従妹のユーモアに笑わせて貰ったりもしたけれど、従妹が何を考えてその30年間を過ごしてきたのか、私には想像もつかない。


居間に飾られているお婿さんの写真が、夜になって従妹が寝室に引き上げた後、その明るい彼の笑顔も一緒に消えてしまうのを、只、思い出すばかりである。



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大切な人だったと、今頃気づいた気がします

シシーマニアさん

ミルフィーユさん、こんにちは。コメントありがとうございました。

まさに私は、
>踏み込む勇気もなく
という、情けない従姉でした。

仰る通り、ユーモアの感覚で世の中をみていただろうと思われます。
そして、一方ではさめても居たんですよ・・。

思い出せば、次々と彼女の何気ない言葉に教えられた事が、頭に浮んできます。
最近はしょっちゅう、従妹の事を考えているのに気づきます。

2016/06/03 17:13:12

ひととの出会いと交流

ミルフィーユさん

長生きの時代になり、親子でも逆縁になることが良くありますね。
若くして独り身になり、長い独身生活を送られた従妹さんの心中は如何ばかりか、踏み込む勇気もなく、と言ったところだったでしょうか。

親しい人との交流も、いつしか疎遠になり、振り返ると、あの頃が一番濃い交流だったと、私も最近、懐かしむことが良くあります。
特に年をとってみると、それがくっきり浮かび上がるものですね。
でも、唯一の救いは彼女にユーモア精神が有ったことではないですか?
何があっても、笑って生きていきたいものです。
想い出をこうして綴ってくれる人がいることを、喜んで。

2016/06/02 21:24:52

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