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独りディナー
主張しない音色
2016年01月20日
テーマ:音楽
先日、友人の演奏会前リハーサルを聴きに行った。
出演者が沢山いて、今週末の本番まで、どんなコンサートになるのか、まだ全貌はつかめていないのだが・・。
その中でピアノ伴奏者として自作自演していらした、作曲家の尾高惇忠氏の作品に、私は感動してしまったのだ。
先日見た映画の、坂本龍一作品の様に、それは全く気を衒うことのない、純粋に美しい歌曲であった。
最初は、女性コーラス。
最後にリハーサルしていらしたのは、歌曲。
氏のピアノの音色が、又優しくて、気持ちのこもった演奏とはこういう音色の事を言うのか、とこの年になって気づく程に、それはまろやかで主張しない響きであった。
そうなのだ。
私の人生は、殆どピアノの独奏曲を弾くことだったので、いつも大きなホールで無駄なく音が響いていくにはどうすべきか、に心を砕いていたし、そういった学び方を続けてきた気がする。
つまり、如何に主張するか、といった音色。
でも、尾高惇忠氏はきっと、そんな視点で音を出していないのだろう。
それは、久々に音楽の溢れた舞台裏に接して、とても満たされた気分を味わった日であった。
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最近地味な生活なので、
頭に浮かぶことは、抽象的なことが大半なのです。
狭い世界で生きてきたので、焦点がやはり狭いですよね。
彩さんの様に、広く好奇心を持って人生を送っていらした方は、シニアになってからも毎日が豊かに暮らせるのかな・・。
そういう人は、ボケないそうです、よ。
2016/01/21 18:04:37
やはりすごいなぁ〜
尾高惇忠さんの事、当然のように
私も存じ上げないお名前でした。
ゴク兄いが調べてくださって理解しました。
シシーさんがおっしゃること、さすがと、
想いました。
もちろん、音楽の世界で生きてこられた
プロのシシーさんです。
視る・聴く・嗅ぐ・味わう・触るの
五つの感覚は、私なんかとは別物だと
思っております。
唯一、生きた長さが同じというのが
共通点かと、安心しています。
>この年になって気づく程に、それはまろやかで主張しない響きであった。
演奏して、人に聴かせる時もおっしゃるように
主張する音、ゆっくりとという楽譜記号に
沿って演奏することが大切かと思いますが、
「この年になると…」そこにその演奏者の
人と成が感じられるものがあると、嬉しく
思います。
(ん!?皇室出なもんで(笑))
2016/01/21 09:29:29
まさに、DNAですね
吾喰楽さん、コメントありがとうございます。
尾高家は、日本の音楽界では知らぬ人は居ないというほど逸材揃いのご一家です。本当にDNAを感じます。
オーケストラ作品を書いた作曲家に与えられる尾高賞」は、さしずめ音楽界での「芥川賞」か「直木賞」といった知名度があります。
惇忠氏の作品は今回初めて聴きましたが、そういった背景があってこそ、主張しない音色が生まれるのかもしれませんね。
2016/01/21 08:13:03
尾高惇忠
おはようございます。
初耳の名前だったので、調べてみました。
父は作曲家・指揮者、母はピアニスト、弟は指揮者と、音楽一家ですね。また、妻は声楽家です。
ご本人の努力も当然あるはずですが、音楽に関するDNAが、組み込まれているのでしょうか?
主張しない音色、意味はよく解かりますが、体験したことはありません。
もっとも、コンサートへ行った経験は少ないですが。
2016/01/21 06:49:32