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独りディナー
ガラスの天井ならぬ、障子の天井?
2016年01月11日
テーマ:音楽
演奏家が速いテンポで演奏できるという技術は、驚くことではない。
それは、演奏家としてスタートラインに立てた、ということに過ぎないのだから。
でも、初心者の段階では、如何に速くしなやかに演奏できるか、その技術を体得するために、一体どれだけの労力を使わねばならない事だろう・・。
コンクールや入学試験では、まず技術で払い落とされてしまうから、仕方がないのだけれども。
だが、その技術の訓練の為に、結果的に私たちは多くのものを失っているのだ。
まず、ピアノを弾く楽しみ。
そして、作曲者が音符に託して訴えてくる、様々な感情。
ゆっくりとした速度から始めて、まるで自動人形の様に何十回も繰り返して練習していれば、それは最早、楽曲そのものからかけ離れた音の並びに変貌してしまっても、何の不思議もない。
傍らで見守る教師が、その辺に配慮を施さなければ、幼少児の忍耐は、容易に限度を超えてしまうだろう。
これは、勿論自戒である。
私が子供の頃、余り音楽好きにならなかったのは、己の性格に帰するのは勿論だけど。
「速く、間違わずに」を目標とするピアノの練習が、美しい音楽表現に繋がるとものだと、果たして幼児に想像できるものだろうか。
多分私の周りの大人たち、親や先生たちは、音楽が好きだった訳でもなかったのだと思う。
今教師になってみて、そういった自分の人生が反面教師となって、私の心を鞭打ってくる。
私はどうやら「速く間違わず」練習向きの子供だった様である。
練習曲の番数が、進んでいくのも励みになった。
だから、何とかスタートラインに立つ程度の並の技術は、持ち合わせているのだとは思う。
只、私は努力家だから、この年になっても公開で演奏する準備のためには、技術の練習時に初心に戻る。
ゆっくりしたテンポから始めて、メトロノームという速度を現す道具を使いながら、少しずつ速度を上げていく。
ところが私は昨日、来月に小さなコンサートで弾く予定のショパン作曲「幻想即興曲」を練習しながら、愕然としたのだ。
少しずつ速度を上げながら、この辺が今日の限界かな、と思いつつ、久々に楽譜を出してきて表示されている速度記号を見たら、その数字は四分音符=168と記されていた。
現時点での私の速度は、120であった。
そして、更に驚いたことに、この曲は高校の頃から何度もステージで弾いているのだから弾ける筈と思い、168の速度で試してみたら、確かに弾けるのだった。
きっと、ゆっくりした速度から、一つ一つ上昇していけば、自分の限界と思える数字に行き当たったことだろう。
これを、ガラスの天井とは言わないか・・。
簡単に突き破ることができるから、「障子の天井」はどうかな。
ともかく速い曲は、まだ弾けない時点から、ある程度の速度を自分の中に設定しなくては、どこかで臨界点にぶつかってしまうという、教訓であった。
私自身は、弾けるという安心感があった為の、油断だったのかもしれない。
まさに、日々勉強である。
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師匠のおっしゃる通り、才々さんですね。
彩々さんコメントありがとう。
今自分のブログを読んでも、実にわかりにくい文章ですね。
どうしてなのか・・?
多分歯に衣を着せたから、だと思います。
昨日は、自分の周りの教師たちに対する批判的な意見だったのです。
子供の時に教わった先生とか親、長じてからは周りで見かける子供を教える先生たち。
まさに言いたかったことを、彩さんが要約してくださいました「何事も(中略)気がしなくもなく・・」の部分で、ズバッと。
2016/01/12 07:26:47
基本の基
おはよございます。
昨夜、読ませていただき、吾喰楽さんと
同じ思いでしたが…
今朝、シシーさんの追加コメントを読ませていただき
理解できた気がします。
何事も、習うほうも教えるほうも、基本の基を頭に
叩き込んで置くのはとても大切です。
でも、それにこだわりすぎると仕上がるもの、作品に
命(?)を感じられない気がしなくも無く…
物言わぬ土を前に、考え込んでしまうことがある
私ですが、作陶でも同じことが言えそうです。
あぁ〜、難しい〜
今日はここまでにして置きます(笑)
2016/01/12 05:33:33
こんばんは
ご丁寧な返コメに、恐縮しています。
シシーマニアさんの文章が、解り難いという意味ではありません。
私にとって、余りにも専門的なので、音楽的な意味が理解出来なかったのです。
だから、恥を忍んで「解らない」と書いたのです。
2016/01/11 21:33:28
ピアノは10本の指を使いますので
師匠、判りづらい文章にコメントを戴きありがとうございました。
教育の世界には、まずは基礎から、という常識がありますよね。
でも「基礎とは何ぞや」というのが、私の課題なのです。基礎のための基礎に、陥っている例があまりに多いですし。
速く歌うのは、難しいと思います、口は一つですから。ピアノは10本の指を使うので、煩雑にはなりますが、速さそのものはそれほどではありあませんが・・。
2016/01/11 21:23:55
その二
ピアノの世界では、「練習のコツは、まずゆっくりから始める」という常識があって、実は私「それ、ちょっと待とうよ」と、いつも警鐘をならしているのです。まあ身近な生徒や、自分自身に対してですけれど。
英会話でも、カタカナ英語から始めると、最後までネイティブの様な話し方には到達できない様に、音楽も、練習の為にゆっくり弾くことは、演奏すべき本来の音楽の姿からかけ離れてしまう、ということが言いたかったのです・・。
2016/01/11 21:17:56
私の常識は、狭い世界の常識でした
吾喰楽さん、コメントありがとうございます。
本当に何が言いたいのか、わからない文章ですよね。
「ゆっくり練習する」というのは、もしかしたら英会話の文章を暗記するのに似ているかもしれません。
ネイティブの人の様なスピードで話せる様になるまで、ゆっくりから何度も何度も練習していく。そして、そのうち、内容よりも、早くしゃべることに専念してしまう・・。
「ゆっくり」ということが、ピアノを学ぶ者には常識なので、そこの基本がすっぽり抜けてしまいました。続く
2016/01/11 21:15:32
そうでしょうね
ガラスの天井は、多分比喩であろうと思いつつ、読み進めました。
だって、そんなものが実際にあったら、
地震の時に、怖くっていけませんから。
若い時の修練は、大したものですね。
体得したものが、文字通り、身体の一部になっていて、
難なく蘇るのですね。
目標を設け、そこまで自分を持って行く。
大事なことです。
その努力は、並大抵でないでしょうけれど。
努力家、シシーマニアさんの一端を知ることが出来ました。
(速度記号、100以上では、多分何も唄えないであろう男より)
2016/01/11 19:25:53
恥を忍んで
こんばんは。
正直に云うと、今日のブログは、よく解りません。
解らないなりに、想像してみました。
例えば、テンポの速い曲を歌う場合、歌詞さえ間違えなければ、少々音程が外れても、何となく誤魔化せます。
スローな曲だと、誤魔化しが利きません。
そんな感じでしょうか。
楽器の演奏どころか、歌も歌えない吾喰楽の感想です。
2016/01/11 18:43:04