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敏洋’s 昭和の恋物語り

「日の名残り」の読後感 

2015年10月04日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



長編小説を読み切ったのは、ほんとに久しぶりです。
ひょっとして、40年以上前になるかも‥‥。

カズオ・イシグロ という作家さん、ご存知ですか?
英国在住の、日本人です。
1982年、28歳の長編デビュー作「遠い山なみの光」で、王立文学協会賞を受賞されました。
1986年、「浮き世の画家」でウィットブレット賞を受賞です。
そしていよいよ1989年、「日の名残り」にて、最も栄誉ある「ブッカー賞」を受賞です。

とても寡作な作家さんのようで、じっくりと構成を練りながら更には納得がいかない場合には設定自体を変更さ

れて、改めて書き始めるとか。
とても私などには考えられない作家さんです。
「テーマを決めてから、もっとも相応しい場所・人物等の設定を考えます。場所については数カ所の候補地を選

び出し、現地に足を運んで決める」とか。
ですので、一作一作の間隔が、年単位となっているそうです。
今年発表の「忘れられた巨人」は、なんと10年ぶりの作品だとか。
考えられません、私には。

で、この「日の名残り」です。
感想文として、皆さんにお届けしたいと思います。

1956年7月の、6泊7日の自動車旅行のお話でした。
その中で、執事として仕えたダーリントン卿の話が、時や所を変えて語られていきます。
私には馴染みのないダーリントン卿なる人物は、第二次大戦後に、対ドイツ協力者として断罪された人物とのこと。史実を忠実に追いながらも、その背景を主人公の執事に暖かく語らせている。

にしても、翻訳が凄い。
当初は、「どうして漢字ではなく平仮名なんだ?」という疑問が強かったのです。
いえいえ、憤りに近いものす
ら感じましたよ。
私は、昨今の平仮名表記に対して違和感を覚える人間です。
特に難しい漢字表記にしろとは言いませんが、「NHKさん、お宅は特にひどいですよ」と声を大にして言いたいのです。

ですが、作品を読み込むにつれて(主人公の一人語りで物語が進んでいくのですが)、そのやさしい語り口に触れると「ひらがなでいいんだ。いや、でなければだめだ」と思うようになっていったのです。
わたくしごとで恐縮ですが、最近の作品では意識してひらがな表記をしている私です。会話文の中においてですが、語り手の年齢・性格、そして学歴と言いますか言葉遣いのレベル的なことを考えるようになっているのです。会話こそが、その人物の人となりを端的に表すのではないか、そう思うようになっているのです。

例えばです。
「今日という日は‥‥」
「きょうという日は‥‥」
漢字では男性を、ひらがなでは女性をイメージできませんか? 
TPOにおける使い分け等もありますけれども、ただ単に見比べた場合にはそう感じられると思うのですけれど。

脱線しました。
「日の名残り」に戻りましょう。
ストーリーは追いません。ですが、このことだけはお伝えしたいです。
たくさんの人が出てきます。たくさんの階級人が、現れます。
それら一人一人が、実に凄い。作品の中で、しっかりと浮き出てきますから。
執事という立場から、しっかりと描かれています。
時に、くどいぞ! と思えるほどに描かれます。
でも、読み終えた後の、心温まる観は、見事としか言いようがありません。
実にやわらかく、そしてやさしい作品です。

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