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リパッティを聴いて、反省した日 

2015年03月30日 ナビトモブログ記事
テーマ:音楽

久々に、リパッティの演奏を聴いた。

この、透明な音色と、強じんな技術は、一体何なのだ。

比べるのもおこがましいながら、お気楽にピアノを弾いている自分が恥ずかしくなった。

まあ、恥ずかしくなるのは日常茶飯事で、今日に限った事ではないけれど。


私がまだ中学生だった、「音楽の友」という雑誌を愛読していた頃。

ある日、ディヌ・リパッティに関する記事を初めて読んだのだ。

見開き二ページで、書いていた人の名前はもう覚えていない。

でも、そこに載っていた、二枚の写真ははっきり記憶にある。勿論、その後にも何度も目にしたからだけど。


ディヌ・リパッティ。ルーマニア生まれのピアニスト。

白血病の為、1950年12月、わずか33歳でこの世を去った、不世出の天才。

彼の録音したレコードは、わずか5枚しか残っていないにも係わらず、それらの曲のベスト演奏といったランキングには、必ず選出される程、極めて感動的な演奏を遺した人。


亡くなる数か月前に、病床から抜け出す様にして演奏した、フランスのブザンソンで行われた、文字通りの「告別リサイタル」

彼のお得意のレパートリーである、ショパンのワルツ集は、力尽きて最後の一曲は弾いていない、というエピソード。


その頃はまだ、伝説のみしか日本には届いていなかったけれど、それから間もなく、一枚、また一枚といった風に、LP版に復刻されたレコードが発売された。

今から考えると、あの記事はレコード発売を見据えたものだったのだろう。


でもその頃の私は、演奏を聴く前から、そのリパッティの写真にすっかり魅せられてしまったのだ。

くぼんだ奥から見据える、リパッティの深いまなざしに、一瞬にして心を奪われた気がする。


最初に聴いたレコードは、シューマンとグリーグ、それぞれのピアノコンチェルトのカップリング。

私は、グリーグの潔さに夢中になった。

私が記事から思い描いていた様な、病的な演奏では全くなくて、感傷に溺れずあくまでも上品に、そして繊細に、そしてダイナミックに、そしてブリリアントに、言葉をいくら尽くしても、言い足りない程の感動と言おうか。

そして、何よりもそのタッチから響いてくる、鋼鉄の様な力強さと、一点の曇りもない澄んだ音色。


今日ユーチューブで聴いたのは、亡くなる年にライブ演奏をして、その録音が後に発見されレコード化したという、シューマンのコンチェルト。

この時も、ベッドからやっと起き上る様な状態であったそうだが、その完璧な技術には、微塵の揺らぎもない。


その精神力。

というよりは天賦の才能というべきだろう。

67歳にして、練習不足の自分を深く反省した1日であった。



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リパッティ

シシーマニアさん

Reiさん、おはようございます。

リパッティの演奏をお聴きになりましたか・・。
心が洗われる気がしますよね。高貴という言葉がぴったりします。
ウィーンの恩師が同世代なのですが、「うちに来たことがある」とおっしゃっていて、「ああ、本場だなあ」と思いました。とても上品な人だったそうです。

2015/04/01 09:23:29

聴いてみました

Reiさん

私はよく知らなかったので、ユーチューブで聴いてみました。
すごくハンサムで、シシーマニアさんが「一瞬にして心を奪われた…」というのは、わかる気がします。

大好きなショパンのワルツを聴きましたが、すごく繊細で研ぎすまされた感じですね…素人なのに勝手なことを言ってすみません。

若くして亡くなったのは、残念なことでしたね。

2015/03/31 22:07:58

早起きなのですね。

シシーマニアさん

喜美さん、おはようございます。

コメントありがとうございました。

喜美さんも、「音楽の友」の読者でしたか・・。
昔は、海外の音楽情報等は、殆どこの雑誌から得ていましたね。

ウィーンから帰国した直後、上野でデビューリサイタルをした時に、「音楽の友」にとてもよい批評が出て、その時の本だけは、今でも手元に残してあります。

2015/03/31 10:16:21

ありました

喜美さん

私の若いころも音楽の友ありました
音楽家を目指す気持ちは全くなかったし今その本の内容も定かでないですけれど好きで読んでいました

2015/03/31 04:59:08

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