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敏洋’s 昭和の恋物語り

[宮本武蔵異聞] 我が名は、ムサシなり!  (三十八) 

2024年01月05日 外部ブログ記事
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(舟島 一)
 そして、舟島にて。
 小倉の地からはさ程に離れていない小島だが、隣接している岩礁は難所として恐れられており、漁師ですら立ち寄らない。「見世物にしてはならぬ」という藩主の命により、見物人を立ち入らせぬためとして、この島が決められた。
 約束の刻限を過ぎても、ムサシの姿は見えなかった。照りつける日の下で、小次郎はかれこれ半刻近くを過ごしていた。「どうしたことだ、ムサシは。一向に現れぬではないか」 扇子を激しく振りながら愚痴る武士たちだったが、小次郎は自他共に許す天才剣士の名の下に、泰然自若と臨んでいた。
「小次郎殿、ムサシはまだ現れぬようじゃ。暫時、木陰で休まれるがよろしかろう」 立会人の小谷新左衛門の二度目の声がかかり、ようやく小次郎は松の下に体を休めた。
物見遊山で集まった武士たちの喧噪を他所に、小次郎はほくそえんでいた。小次郎の心中には、ムサシとの勝負はなかった。ムサシ如きを相手にすること自体、小次郎には腹立たしいことだった。
 豊前小倉藩主細川忠興より下賜された、背に燕の姿が金糸の刺繍で施されている陣羽織を身に付けている。本来なら楽な動きが出来る木綿地の装束で臨みたい小次郎であった。 しかし、試合後すぐに藩主への目通りがあると告げられ「試合当日の装束で参れ」とのお達しを受けている。
忠興にしてみればその試合に立ち会いたいところではあるのだが、御前試合とすることをムサシが頑なに拒否している。たかが武芸者同士の私闘ともいえる試合に臨席することなど、藩主である忠興には到底許されるものではなかった。故にせめても装束だけでもとなった。
「よくお似合いですぞ、小次郎殿。殿より拝領の陣羽織に、その朱色の鉢巻きはよう似合うておる。朱美殿の誂えとか、結構結構」

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