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迷いあってこそ私
12月7日 6人の男子孫君のばあばとなりました。
2023年12月09日
テーマ:テーマ無し
ほぼ毎朝、LINEの画像で挨拶をしてくれる三女と孫君5号。三女さんとお話をしたいけれど、まもなく2歳となる彼はそれを許さない(笑)母子共に元気を確認。書こうかどうしようかそっか備忘録私の思いを残そう三女は大学4年生の2月発病。私の職場に大学から入院したと連絡が入った。私の職場はそう言うことには至って協力的。すぐさま駆けつけた。退院をしてさいたまに戻るが、心配。3人娘共、スイミングで頑張りそれぞれの進路でもスイミングが活かされた。特に三女は大学では部長として活躍。本来負けず嫌い。退院してから一人で泳ぐことは不可。辛い時も嬉しい時も、どんなに疲れていても『水に潜りてえ』と言う。大学はまだ2年残っている。一人にして悲観して何かあったら一大事。3月年度末を待って退職。かくして 三女の大学のある新潟で二人暮らしが始まった。彼女の負担にはなりたくなくて、冷たいほど距離を置き見守った。新潟での仕事は事情を伝えて、娘の卒業まで、それ以降は働けないと。マンションからすぐ近くの職場となった。学生時代に慣れた街、不便は無い。あっという間の2年間。無事卒業して羽ばたいた。でも、障がい者手帳を頂き、私の中で結婚や出産は望まなかった。三女も思いは同じらしく、子どもと自分の病気に関わる仕事に携わった。職場の先輩から紹介されて、先輩の弟さんとお付き合い。先輩だから三女の病気は承知。そして何年かお付き合いをして結婚。やっぱり子どもが欲しい。病気を思うとかなり負担が。でも、夫婦二人で決めたことだから、私は応援するばかり。不妊治療にも挑戦。出産時の負担が何より心配だった。無事5号君の誕生。そして、二人からもう一人、授かるものならと。(やや高齢出産かな)彼は仕事も退職して、三女の負担を助けると。一番喜んだのは孫君5号。11月から大好きなパパが家に居て遊んでくれる。ばあばの私にはLINE電話だけ。忘れられるかもな。そんな訳で産気づいて病院へ。三女を通じて、出産は命懸けであり、健康に産まれることが当たり前では無いことを改めて痛感する。12月7日 11時過ぎ 母子共に健やかに産まれたと。神様に御礼を述べたいけれど、私はわがままをいっぱいしていて、神様になかなか素直にお礼が言えない。でも、やっぱり心の中ではありがとうございますと叫びました。孫君6号ようこそ🥰大好きなパパさんとお散歩
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