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敏洋’s 昭和の恋物語り

青春群像 ご め ん ね…… 祭り (十六) 

2023年10月08日 外部ブログ記事
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手紙(一)
 その日を境にしてぼくと友人との間に、目に見えないバリアのようなものが張られた。ぼくの気持ちのなかに嫌悪感が生まれていた。おのれの馬鹿さ加減を見せつけられるようで、友人の顔を見ることができなくなった。そしてそれは友人にとっても同じことのように感じられた。廊下の先で見かける友人は、すぐに曲がってしまう。別棟の校舎に向かうこともあれば、他のクラスに入り込むこともあった。二人の間に流れたぎくしゃくとした空気は、卒業するまで消えることはなかった。
 二十歳になったばかりの時だった。突然に友人の母親から電話が入った。「実はね、聡が他界しました。一度目の折には蘇生してくれたのに、今回はだめでした。もう大丈夫だと思っていたのですけどね。病状の悪化で入院して……」
 最後は涙声になって、聞き取れないまま電話が切れた。すこし前に友人の母親に懇願されて見舞いに行った折には、たしかに現実と夢の区別がつかないようではあった。どうにもとんちんかんな会話になってしまった。自分の都合の良いように話を作ってしまっていた。「僕の作った『クラスの歌』を、みんなで歌って楽しかったね」「へび女、覚えてるかい? いまどうしてるだろう。元気に暮らしているだろうかね」
 結局、友人との和解はできずじまいだった。最初でさいごの友人だった。生来の引っ込み思案と、会話下手があいまって、どうにもうち解けた話ができない。いや、そうじゃない。自分の意見をもたないから……。でも、だけど、彼との会話が成り立たなくても、ぼくは彼との時間が好きだった。ただだまって、彼の声をきいているだけで、ぼくは満足していた、はずだ。
ぼくは釈然としない思いをいだきながら、いまもいる。もっとしっかりと話を聞いてあげればよかった……。そしてしっかりとぼくの思いを伝えればよかった。「たのしかったね、あの祭りの夜は」「あのときから、ぼくたちはマブダチになったんだよね」
 告別式からしばらくして友人の手紙がとどいた。お母さんが、机の中から見つけてくれたものだ。どうやら、入院する前日に書いていたらしい。

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