読書日記

『もう一つ上の日本史 近代〜現代編』 <旧>読書日記1364 

2023年04月15日 ナビトモブログ記事
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浮世博史『もう一つ上の日本史 近代〜現代編』幻戯書房(図書館・ブログ)

下巻にあたる本書の取り扱う範囲は『日本国紀』に従って「戊辰戦争」から始まるが、最近の教科書では「近代」はペリー来航から始まると注釈をつけてから本文に入る。そこには数々の百田尚樹氏の誤読や明確な誤り、そして根拠の無いことの指摘があるがそれらをいちいち拾い上げることはしない。

著者の問題意識は、本巻の前書きにあるように
もちろん、すべての時代・地域の歴史に精通することは普通、できません。ところがインターネットの普及以降、この(知識の)「穴」に浸食してくる様なかたちで、極端な意見が大手を振ってまかり通る一方、その誤りを訂正するのに手間も時間も追いつかない、という状況がしばしば見られます。デマは一瞬で広がるのに、その検証は、必ずゆっくりとしか広がらないのです。

こうした中で、歴史について、どのような姿勢で考えてゆけばよいのでしょう。

一つだけ確実に言えるとすれば、「一方の極端な意見に性急に飛びついて、他を全否定しない」ということでしょうか。

もう一つ念押し的に本館の末尾の「あとがき」でもこう書く。
歴史「で」思想・信条を語るのは自由ですが、思想・信条のために都合のいい歴史を集めてしまうと本来の姿が歪みます。

昨今の書籍やネット上には、「歴史」といっても俗説やデマやヘイトまがいの話が溢れてしまっています。歴史教育にたずさわる一人として、とてもこのまま見逃せないな、と思い続けてきました。『日本国紀』という本はある意味、それを集約してくれました。
 多くの歴史研究家たちは、日々、黙々と、学を曲げず、世に阿ることなく、史料と資料の検証を積み重ね、「本来それはいかにあったのか」を求めています。もちろん百%の「真実」はわからないことでしょう。しかし、現状判っている範囲での「誤り」「誤解」を指摘することはできます。

と言うことで本書では「根拠を示して欲しい」「実際の文献を読んでおられるのでしょうか」「主義・信条を書くことは自由です」という言葉が多く見られる。

本文の末尾に16ページにわたる参考・引用文献の表には良くこれだけの本を読んでいるなぁ、と思わざるを得ない。もっとも、学術論文などでは「引用」する文献をすべて読む必要は無く、論拠を示すだけで良いのであるが・・『日本国紀』には参考文献はまったくなく、学問上の定説も単なる噂話も並列して書かれているらしいことが本書の指摘で良く判る。
(2020年9月2日読了)



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