読書日記

『いい絵だな』 読書日記150 

2023年02月04日 ナビトモブログ記事
テーマ:読書日記

伊野孝行×南伸坊『いい絵だな』集英社インターナショナル(図書館)

著者二人の「絵を描く人」によっての対談。「絵を描く人」としたのは以下の紹介では二人ともイラストレーターとなっているが、途中の第6章において、イラストレーターと画家との差が語られており、この両者をひとことで表そうとする表現が私にはこれしか思いつかなかった。

【著者略歴】
伊野孝行(いの たかゆき)
イラストレーター。1971年、三重県生まれ。東洋大学卒業。セツ・モードセミナー研究科卒業。講談社出版文化賞、高橋五山賞、グッド・デザイン賞。著書に『となりの一休さん』(春陽堂書店)、『画家の肖像』(ハモニカブックス)、『ゴッホ』(書肆 絵と本)など。TV番組にEテレ「オトナの一休さん」「昔話法廷」など。
南 伸坊(みなみ しんぼう)
イラストレーター、装丁デザイナー、エッセイスト。1947年、東京都生まれ。都立工芸高等学校デザイン科、「美学校」・木村恒久教場、赤瀬川原平教場を卒業。1980年、月刊漫画『ガロ』編集長を経てフリー。著書に『モンガイカンの美術館』(朝日文庫)、『私のイラストレーション史』(亜紀書房)など。

さて、例の通り広告文を引けば

自分にとってのいい絵を探そう

描き手によるジャンルを超えた、
ゆるくて面白い絵画談義。

なぜ画家たちはリアルに描くことに夢中になったのか、
ヘタな絵の価値とは何か、
現代美術は何を言おうとしているのか、
ファインアートとイラストは違うのか……。
描き手である二人がジャンルを跨ぎ、縦横無尽に語り尽くす。
絵を描くと分かることがある。
お勉強では分からないことがある。
本書を読むと、料理を自分の舌で味わうように
絵が鑑賞できるようになる!?

絵は好き嫌いで見てもいい。
むしろ好き嫌いで見るべきだ。───山田五郎(評論家)

目次より
第1章 海の向こうから来た写実
第2章 絵画と写真の間
第3章 俺たちの印象派
第4章 ヘタよりうまいものはなし
第5章 シュルレアリスムはまだ終わってない宣言
第6章 イラストって何?
第7章 現代美術のいただき方
第8章 服を脱ぎ捨て裸の目で見よう!

というもので、本書で改めて知ったことがいくつかある。まず「日本画」という言葉は黒田清輝によって言い出されたとなる。明治維新の激動の中でヨーロッパ帰りの黒田は「俺は本場の絵画を知っている」として、絵画の西洋化へのトップを走るけれども、その際にそれまでの日本の絵画(浮世絵を含む)の伝統を切り捨てていきその結果、今で言う日本画(狭義では、明治維新から第二次世界大戦終結までの77年間において、油彩に依らず、毛筆画や肉筆画など旧来の日本の伝統的な技法や様式の上に育てられた絵画を指す。これに対して、油絵は「洋画」と呼ばれていた)ができたとする。(私の友人の日本画家に「日本画」と「洋画」の差はなんだ?と聞いてもあまりすっきりしなかった理由が判った)。つまり、黒田が浮世絵の価値を認めなかったために、今の洋画と日本画は描く題材も、そのテクニックも、描き方も差が無くて、かろうじて岩絵の具を使うかどうかの差があるけれど、それも(洋画家はまず使わないとは言え)日本画家が必ずしも岩絵の具を使う訳でも無いから、ジャンル分けが難しいのである。まあ広義の「日本画」では明治維新前の物や、第二次世界大戦後の物にも拡張して呼ぶこともあるらしいが定義がいまだに曖昧らしい。

また、明治維新では日本にはその時代性を問わず西洋画が入ってきたことによって、各画家の洋画の取り入れ方に混乱が生じているとのこと。
「ヘタうま」の絵とは、素人には「自分にも描ける」とその気にされ、プロには「自分には描けない」と絶望させるもの。
超絶技巧の写実画はプロはじっくり観賞したいとは思えず、歩く速さで見る、ということ。これは私にも経験があり、上の友人と旅行中にとある美術館に入ったら、友人はついつい立ち止まって見ている私を置いて、さっさと普通の早さで通り過ぎた…たまに止まっても見るのは、絵自体では無く使われている技法を見ていたらしい。

この「絵を描く」二人の対話はフラフラとあちこち飛んで面白く、言及されている多くの絵が示されているのはありがたい。
とりあえず、浮世絵はもちろん、狩野派や丸山派の絵も「(狭義の)日本画」には入らないそうだ。そんなことを言われても・・
(2023年1月24日読了)



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