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敏洋’s 昭和の恋物語り

水たまりの中の青空 〜第二部〜 (三百十一) 

2023年01月24日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「そ、そんな。容態をわかっていらっしゃないから、そんなことが言えるんだ。冗談じゃない! 医師として、そんなことはできない。いつ倒れるかもしれないんですよ、それでは。それに第一、死期をはやめることになってしまうことになる。医師としてね、そんなことは認められない。話になりません!」 顔を真っ赤にして拒絶する医師。指先がわなわなと震えている。「先生。このまま、ベッドにしばり付けられたまま最期をむかえる患者の身にもなってください。白い天井を見つめたままで、なんの楽しみもなく過ごすなんて。あんまりです、残酷です」 なおも食い下がる小夜子だが、医師は呆れかえった顔をみせている。だめだめ、と首をふるだけだ。
「あなたねえ、病人に早く死ね! とでも言うの? 信じられませんな、まったく。楽しみがない? そんなものは家族で楽しませてやりなさいよ。医師がどうのという範疇を越えている。そうか。家族じゃないから、そんな無責任なことが言えるんだ。他人だから、そんな風に考えるんだ。どこの世界に、病人を早死にさせようとする者がいますか! 信じられん、まったく。お引き取りください!」憤懣やるかたないといった表情を見せる医師で、そっぽをむいてしまった。話にならん、とつぶやきながら、机の上のカルテに目をおとした。目をおとしたといっても読んでいるわけではない。ただ漫然とながめるだけだ。看護婦が、「お帰りください。先生もおいそがしいので」と、小夜子に声をかけるが、しかしそれでも食い下がった。
「先生!」と、キッと睨み付けながら、「若くして母は、死にました。でも旅立つすこし前に、一時的によくなったんです。床から出ることができたんです。その時にはじめて、母の化粧姿をみました。とてもきれいでした。今でも、はっきりと思い浮かべることができます。そして食事を作ってくれました。一汁一菜の粗末なものでしたが、わたしにとっては宝です。あの時だけ、母になってくれたのです。我が子のために、たった一度でも、母としての責務をはたせたこと、さぞかしうれしかったと思います。後生です、先生。勝子さんに、生きてきて良かったと思える思い出を、どうぞ与えてください。女としての喜びを感じさせてあげてください。このままじゃ、勝子さん。なんのために生まれてきたのか、何にも残りません」
涙顔で訴える小夜子に、「お母さんから、話をお持ちください」と、困惑顔で医師が答えた。小夜子のしつこさに辟易している観がみてとれる医師だ。“冗談じゃない、そんなことは許されん。母親なら、こんな無茶は言わないだろうさ” 心内で舌打ちしながら、とにかく話を切り上げにかかった。「ありがとう、先生。一生、恩に着ます。お母さんから話をしていただきます。お母さんだって、きっとわたしと同じ気持ちだと思います」 嬉々として立ち去る小夜子、母親を説得するべく病室に向かった。
 病にかかった患者にとって、医師は神のような存在だ。医師のことばは絶対であり、疑義をはさむことなどありえない。有りうるべからざることだった。病をなおしてくれと懇願する家族はいても、一日でも長い存命をねがう家族はいても、安らかな最期をとねがう家族はいても、死期を早めることになってもやむを得ぬ、生きた証しを持たせたいとねがう家族などいない時代だった。

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