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敏洋’s 昭和の恋物語り

水たまりの中の青空 〜第二部〜 (三百九) 

2023年01月18日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「何てこと言うのよ、勝利は。お母さん。笑ってないで、何とか言ってよ。小夜子さん、あなたもよ」「さあさ、もうその辺にしなさい。勝子、支度なさい。ちょっと失礼して、体をふきましょ。銭湯にはまだ入れないからね」 台所から、勝子の嬌声が洩れてくる。「背中だけでいいから。そこは自分でやれるって」「いいから。あたしにまかせなさいって」 二人の会話に、竹田が顔を真っ赤にして、うつむいてしまった。普段から聞いていることなのだが、その折には竹田もちゃちゃを入れて大笑いするのだが、いまは小夜子がいる。
小夜子はだれかれなしに話すことはないだろうと思う。話すとしても武蔵だけだろうと思う。しかしその武蔵が五平に話し、五平は徳子に話すだろう。そうするとまたたく間に会社中に知られてしまうに決まっている。しかしそれがいやなのではない。母親の気性は、あの二人がよく知っている。そんな会話を聞いたとしても、別段おどろくことではないだろう。実のところはあまりにあけすけな、家族だけのおしゃべりを聞かれることが、相手が小夜子だけに恥ずかしくてたまらないのだ。しかし小夜子には、それがうらやましく感じられる。母親とのそんな会話など、まったくなかった小夜子だ。育ててくれた茂作あいてでは、のぞむべからぬことだった。
いまは武蔵がはなしを聞いてくれる。つかれた顔で帰宅しても、小夜子をあぐらかきした上に座らせて、「うん、うん」とうなずいてくれる。日付けが変わろうとする夜更けになっても、あぐらかきした上に座らせて、「そうか、そうか」と頭をなでてくれる。目の中に入れても痛くない幼子に対するように、ときにはほおずりをしてくれる。しかしそれでも、この二人、母親と勝子のじゃれ合いではないのだ。親子のあいだにしか存在しない、ふかいふかいこころの奥底からの信頼観が得られていないと感じてしまうのだ。いや、ことばにしてしまえば失われてしまうものなのだ。川の中に手を入れてふれられるものではなく、空を切るたよりなさを感じるのに、たしかにそこにあるもの――それがほしいのだ。
「あらまあ、あたしったら。小夜子奥さまをほったらかしにして。申し訳ありません、小夜子奥さま」 ガラス戸から顔を少し出すと、竹田がすかさず「ハハハ。小夜子奥さまのことを娘だって思ってるだろう。だから目に入らないんだよ」と、茶化した。「これ! 勝利。そんな失礼なことを、言うんじゃないの。あたしらと奥さまとでは、まるで住む世界がちがうんだからね」
「お母さん、それは悲しいわ。あたしは貧乏百姓の娘なんだから。たまたま武蔵の妻になったというだけでしょ。そんな、住む世界が違うなんて悲しいこと、言わないで」
“そうよね。生まれはひどいけれど、あたしは努力したのよ。他の子たちがチャラチャラと遊びほうけているときに、あたしは一生懸命がんばったのよ。だから今のあたしがあるのよ”と、一段見くだす小夜子も、確かにいた。しかしそう思いつつも、勝子にたいし姉への思慕の念をいだいているのもたしかだった。アナスターシアにいだいた思慕の念に近いものを感じてはいた。天と地ほどの差のある勝子に、なぜにこれほどの親近感を感じるのか、今の小夜子にはわからなかった。

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