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人生いろは坂

ようこそこの地球へ 

2011年10月08日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 先日、孫が誕生した。東京にいる長男夫婦の子どもである。まさに日本国銃に激震の走った3月に
母体に宿った子どもである。

 実は私も昭和19年5月4日に誕生している。日本が大きく敗戦に傾きかけた年である。日本に
とって運命的な年であった。

 その後に広島に長崎にと原爆が投下され惨めな敗戦国になってしまった。そして経済が最優先の国と
してヨーロッパを追い越しアメリカに次いで第二の経済大国までになった。

 この間、日本人の価値観は大きく変化し、お金が最優先の国になってしまった。その結果、何が
残ったのか。やがて高度経済成長は大きなひずみとなって底なしの沼へと引きずり込まれるように
大きく沈んでいくことになった。

 そして取り残されたかつての企業戦士達は行く当てもなく高齢化の道をひた走ることになった。

 今の時代は大きく価値観を変えなければならない大事な時ではないだろうか。中東では独裁政権が
次々と倒され民主化への道を歩き始めた。そして世界の経済をリードしてきたアメリカにも陰りが
見え始めた。ウオール街ではかつてないデモが繰り返されているようだ。

 君が誕生した2011年という年は、このような年である。君の赤ちゃんには見えないほどの
しっかりした顔は何を表しているのだろう。ようこそ21世紀へ、そして激動の時代へ。

 真実とは何か。先の小沢問題に端を発する一連の裁判は小沢氏に対し批判的な目で見てさえも
異常に思える。裁判はあくまで証拠に基づくべきものである。推測の中で幾つもの冤罪事件が起き、
今もなお、その最中にある。

 「疑わしきは罰せず」である。この原則を忘れてはならない。裁判官も人間である。裁判官の
下した判決が全てではない。とは言いながら裁判官の判断は重い。慎重の上にも慎重を期すべき
であろう。

 また、マスコミの罪も大きい。影響範囲が広大なだけに裁判以上に責任を負うべきであろう。
その限りにおいて歴代の反原発訴訟の大半は原発推進のため退けられてきた。その時の判断は
何の根拠に基づくものだったのか。

 裁判官は大いなる反省をすべきであり、その時の反省をするならば、原発推進の判定を下した
裁判官は速やかに法廷の場から立ち去るべきであろう。

 さて、私の孫達に伝えておきたいことがある。それは人間というものの存在そのものに関して
である。他の動物から突出したこの生きものは我が星地球さえも壊滅させようとしている。

 そして、その地球は必死の思いで抵抗をしている。それら抵抗の証が様々な天候異変であり
地殻変動ではないだろうか。我が母である地球は私達に警告を発しているように思えてならない。
世の乱れ、地球温暖化、乱開発による大災害、これら全ては人間がしてきた事へのしっぺ返しだ。

 それでもなおエゴを通し自己中心的なものの考え方を改めようとしない人が多すぎる。

 表土を削り取って一時しのぎは出来ても根本的な解決にはならない。削り取ったものを処理
しなければならないからだ。人間が一つのことをやれば必ずその先にまた大きな問題が横たわって
いる。

 全ては為すがままの方が良い。自然はそのようにして変化してきたのである。その邪魔をして
きたのが人間である。放射性物質は地球の誕生46億年前からこの地球に存在し多くは長い時間を
かけて崩壊し害のない形にまで変化してきた。

 その過程にあったものを掘りだして抽出し核燃料として使っている。いわば自然の変化に途中
介入してそのシステムを壊してしまったのは他ならぬ私達人間である。その罪は重い。

 自然に帰らなければ全ては解決しない。さて、君達の時代はどのようになっているのだろう。
機会があれば先に逝くおじいちゃんに教えて欲しい。君達にとって幸せな時代であることを
心から祈っている。誕生おめでとう。ようこそこの地球へ。

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