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敏洋’s 昭和の恋物語り

水たまりの中の青空 〜第二部〜 (百六十七) 

2021年11月30日 外部ブログ記事
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“待て待て、急いては事を仕損じるぞ。それとも、据え膳喰わぬは男の恥か? 
いやいや、小夜子は俺の伴侶になる女だ。そこらの女どもと一緒にしちゃいかん”
小夜子のおでこに軽く触れて
「もう休め。明日、ビフテキでも食べよう。
小夜子、好きだもんな。牛一頭分、平らげさせてやるぞ」と、体を横たえさせた。
「タケゾーも、眠ろうよ。小夜子と一緒に寝ようよ」
 武蔵の手を握り、小夜子の隣へと誘った。

「そうだな、寝ような。一緒に寝ような。これからずっと一緒に寝ような」
 小夜子が体をずらして、武蔵の入り込む隙間を作った。
ありえないことだ、小夜子が他人のために己を譲ることは。
これまでの、僅か20年足らずの人生だけれども。
あのアナスターシアにですら、心を許している相手だというのに、己の、分だけは譲らなかった。
今、ベッドの上で体をずらしたということは、小夜子の心の領分に武蔵を招き入れたということなのだ。
衰弱しきった体がそうさせたのか、弱った心が白旗を挙げたのか。
しかし今の小夜子にはそれすら感じられないでいた。

 小夜子の傍で束の間の休息をとる武蔵が、小夜子との語らいにどれほどの安らぎを覚えることか。
これまでに幾多の女性と閨を共にしてきた武蔵だ。
無論その殆どが、金員だけのつながりだ。損か得か、それが基準だった。
戦友だ、刎頸の友だと言い切る五平に対してですら、その繋がりの中に損得勘定がどこかしらに存在している。
御手洗という苗字のために受けた数々の屈辱が、屈折した人間を育てた。
人に人として対する術を持たぬ武蔵だった。
それが為に、幼い頃には卑屈になり、そして今それを隠すために、己の心中から消し去るために傲慢さを剥き出す。

 しかし又、人の心のあり方にも敏感になった。
うつろい易い心を引き止める術、怒り心頭に達する心を鎮める術、悲嘆に暮れる心を慰める術、そして奈落の底に陥った心を奮い立たせる術。
それらの全てで、五平と共に富士商会を育ててきた。
鬼神の心でもって、戦後の混乱を成り上がりつづけた。
いっ時の気の緩みも持たずに、周囲すべてに気を配りつづけた。
それらか為に産まれる体の疲れは、体を横たえることで取れる。

 しかし、心の疲れは消えない。酒を飲むことで麻痺させることはできる。
しかしそれで消えることはない。武蔵の誘惑をきっぱりとはねつけた小夜子に出逢い、世俗の垢にまみれていない純真さに興味を覚えた。
世間知らずの小娘だと感じつつも、ひたむきな思いを隠そうともしない振る舞いに、武蔵の知らぬ世界に住む小夜子に惹かれ始めた。
 小夜子が感じたとおりに、足長おじさんとしての感情を抱いたはずだった。
五平の「嫁さんにどうです」という言葉に、“こんな小娘なんか、俺に合うはずがない”という思いが強かった。
しかし小夜子とのたわいもない言い合いが、武蔵の心の疲れを癒やすようになっていた。
小夜子との損得抜きの会話が、武蔵のささくれ立っていた胸懐を和らげていった。

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