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のんびり。

「流れる星は生きている」 

2021年05月22日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

〔1949年/日本〕第二次世界大戦が終わり、中国にいた日本人は、大変な思いで港を目指して進んでいた。3人の幼子を連れたけい子(三益愛子)もその一人。何としても生きて日本に帰らねばならない。思いはそれだけだ。やっと日本に着いたけい子は、叔母の家に行くが、思いの外、叔母は冷たく、引き上げ寮で暮らしながら、夫を待つ事にした。一緒に引き上げてきた節子と幸枝は、キャバレーでの仕事を見つけ、けい子は、製本所で働くことになった。しかし、中国で引き上げる途中、子供を亡くした幸枝は、自暴自棄となり、転落してゆく。そんな中、けい子は、製本所の経営者から、次男を養子にくれないか、と言われ・・・。終戦後、中国からの引揚者の皆様が、どれほどご苦労なさったか、映画、ドラマ、書物などで、何度か知る機会があったけれど、これも、辛い物語。どんな時代でも、必ず、いい人と、悪い人、というのがいて、例えば、引き揚げのための行進をしている最中でも、女性たちの食べ物や金を狙う輩がいる。こんな非常時に、いい加減にしろ、と言いたくなるが、そういう人の思考は、そういう事にしか向かないのだろう。そうかと思えば、日本に帰ってから、叔母につれなくされ、途方に暮れているときに出会ったお巡りさん。彼は、けい子と3人のこどもを家に連れ帰り、食事を提供し、泊めてくれる。涙が出そうなくらい、ホッとした場面。その後も、同じ。引揚者を利用して、金儲けだけを考える人間が多数いて、彼らは、けい子たちの弱みに付け込み、追い込んでゆく。女たちは、「いつか帰ってくる夫や恋人に会った時、 顔向けできないような事はすまい」と、それだけが、心の支え。それでも、転落してゆく者はいる。けい子は、中国から3人の子供を連れ帰ったけれど、引揚者の中には、置いてこざるを得なかった人もいて、その子が、後にいう、中国残留孤児と呼ばれる人たちなのよね。で、いっとき、残留孤児たちの日本への帰国が相次いだけれど、日本語を話せずに、ご苦労されたとか。そして、今は、その二世、三世たちの時代。そんな風に、戦争は、いつまでも、その傷が癒えることはなく、後世にまで影響が及ぶ。今後、絶対戦争をしてはならないと、本気で思う。評価 ★★★★☆

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