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敏洋’s 昭和の恋物語り

クラシック音楽 お気に入りが増えました 

2021年02月20日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



最近、バッハ音楽を聴く機会がありました。
古くさい音楽だろうと、まるで期待していなかったのですがこれがまた!
わたしの心の琴線にビンビンと響いてきました。
[お気に入り]の一つに加わることになりました。

音楽に、「新しい」・「古くさい」これらの境目は、どこにあるのでしょう?
いやむしろ、そもそもが境目など、あるのでしょうか。
小説等では、坪内逍遙の「書きことば」に対して、夏目漱石が「話しことば」を推奨(?)してして大騒ぎになったと聞いています。
まあ今では、当たり前の文体なのですがね。文語体に口語体ですよね。

日本の歌謡曲だと、確かに古くさいと感じられる楽曲がありますよね。
昭和と平成では、まるで曲調が違って聞こえますもん。
演奏方法に楽器のチョイス、確かに明確に変化を感じます。
でもですね、よくよく考えてみるとですね。

それらって、編曲の範疇ですよね。
メロディ自体には、新しいも古いもないように思えるんですが。
この際、詩は外して考えていますのでね、そこは理解してくださいね。
平成の詩は、西洋的という言い方をして良いのかどうか分かりませんが、それまでの詩とはまるで違っています。

昭和の詩は、型を重んじていると思うのです。
五・七調、あるいは七・五調と言った具合なのですが。
平成の詩は、そういった字数はまるで無視ですよね。
西洋の楽曲では、文字数と言った考えはないでしょうから。

日本の素晴らしい文学、俳句に短歌には、見事に字数が存在しています。
いや存在していると言うより、[五・七・五] [五・七・五・七・七]が、ルールですからね。
まあ、[字余り]といった作品もありはしますが、稀少ですしね。
ある方に言わせると、「邪道」ということになりますけれど。

俵 万智さんって、ご存じですか?
現代口語短歌のホープだと称された方です。
[サラダ記念日]と言えば、おわかりですかね。
「[この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日]

古いタイプのわたしには、先ほどの方がおっしゃった「邪道」の範疇に入ってしまうのですが。
なのに、なのにですよ。
最近のわたしの文体は、実に乱れに乱れているわけです。
お感じになられていると思いますが、旅行記らしきものでは、そこに居る誰かに話しかけるが如くに書いています。

例えば「新しいも古いもないように思えるんですが」とか、
或いは「まるで曲調が違って聞こえますもん」とか。
普通に考えれば「ん」ではなく「の」であり、「もん」ではなく「よね」あたりでしょうか。
でも会話の中だと、「ん」であり「もん」の方が、より親密さを与えると思うのですよ。

バッハに戻りましょうか。
実にシンプルで、実に明快で、実にビンビン来ます。
まったく奇をてらっていないところが、また良いですねえ。
ベートーベンの「運命」もまた、それはそれでビンビン来るのですが。

お気づきですか? ぞぞれに4行ずつにしていることを。
ことほどさように、型というものにこだわる――囚われているともとれますね。
詩を創る際において打破しようともがいてはいるのですが、中々に、うまくいきません。
そんなわたしですけれども、これからも試行錯誤でいきます。

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