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敏洋’s 昭和の恋物語り

水たまりの中の青空 〜第一部〜 (七十三) 

2021年02月17日 外部ブログ記事
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 昭和24年にドッジ経済顧問が来日したことにより、富士商会は不況の荒波に揉まれることになった。
ハイパーインフレの収束を目指した経済政策は、日本を未曾有のデフレへと導いた。
前年にGHQから発令された『経済九原則』を、日本政府に対して強硬にドッジは断行させた。
緊縮予算実施の為に大量の解雇が始まり、街には失業者が溢れた。
復員兵を大量に雇い入れていた国鉄も、九万五千人という大量人員整理を命じられた。
当然の如くに、民間企業も次々と人員整理に追い込まれた。
既に社員数五十余名に膨れ上がっていた富士商会も、半数の社員が余剰気味に陥った。

「社長!背に腹は変えられません。首切りを断行しましょう」
 詰め寄る五平に対し、武蔵は頑として受け付けなかった。
なぜ? 五平には武蔵の意図がくみ取れなかった。
同業他社では次々と首切りを断行して、この国難とも言える事態を乗り越えようとしていた。
それでも持たずに店を畳む者も多々いる。
“ここまで辛抱してきたんだ、社員も分かってくる”。
そんな思いが五平にはある。しかし武蔵は頑としてそれを拒否する。

「俺たちの取り分をゼロにしてでも、首切りはやらん! 一年の辛抱なんだ。
朝鮮半島のきな臭さを考えれば、早晩戦争は起きる。
そうなれば、特需だ。大企業ならいざ知らず、富士商会如きに優秀な社員が集まる筈もない」
「しかし社長、持ちますか? それまで」
「なあに、心配するな。いざとなれば、裸になれば良いんだ。
今まで良い思いをしてきたんだ、泥水を啜ってでも持たせるさ。
幸い、あの三人も給金は当分不要だと、言ってきた」
「えっ! あの三人が、ですか……」
 五平は、絶句した。恥ずかしかった。
あの三人ですら、己の給料を減らしてでも、いや全額返上してもいいという切り出した者さえいるという。
それほどに仲間意識を持って首切りに反対しているというのに、五平には己の給料を減らすなど思いも付かなかった。
他所では……という言い訳の元で、己だけは助かりたいと思ってしまった。

 それからの武蔵は、まるで鬼人の如くに動いた。
徹底的に、同業他社を叩き潰しにかかった。売価の徹底値下げを図った。
他社と正式契約を取り交わしている相手に対し、半ば恐喝まがいの行為で破棄させた。
他社の提示価格よりも一割、二割と値下げ提示して回り、
「なあに、早晩自滅するさ。いつまでもあんな商取引が続くわけがない」と、陰口を叩かれた。

 武蔵の、赤字覚悟の攻勢だった。『まず、売価有り!』の戦法を取った。
納入後に、仕入先との値段交渉に入ったのである。
有無を言わさぬ価格決定に対し、轟々たる非難が起こったが、武蔵はどこ吹く風とばかりに受け流した。
掛けではなく、徹底した現金仕入れを取り入れもした。
直接、製造工場に乗り込んで、テーブルの上に札束を積み上げた。
明日の利益よりも今の現金に目が眩んだ工場主は、武蔵の軍門に下っていった。
夜逃げ寸前の町工場に乗り込んで、調達したことも多々ある。
大手のメーカーでは、工場長の犯罪さえ誘発した。
その折には、富士商会の名前は出さず架空の会社名で買い漁った。

 小物類は爪切りから、大きい物品は機械旋盤までを買い漁った。
更には食品にも、手を出した。生鮮食品以外のほとんどの物を買い込んだ。
畑違いの生糸にまで手を出した折りには、さすがに五平が異を唱えた。
しかし武蔵の意外な言葉には、唸らざるを得なかった。
「もう忘れたのか、五平。戦時中の厠勤めを」。
「将校たちの話の中に、弾切れ以外にも、土嚢不足だ、軍服不足だとこぼしていただろうが」。
そして倉庫は勿論のこと、事務室内果ては廊下にまでうず高く積み上げた。
武蔵の自宅は勿論、下っ端の社員宅まで運び込んだ。

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