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敏洋’s 昭和の恋物語り

水たまりの中の青空 〜第一部〜 (二十一) 

2020年10月20日 外部ブログ記事
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 多くの市町村の水源を持つだけの村で、産業らしきものはなにもない。
というよりも、水源の地ということで諸々の制約を設けられていた。
村は中央を流れる川によって、東地区と南地区に分かれている。
南地区は山の裾野にあり、猫の額ほどの田畑が多い。
東地区は開けた地で比較的大きな田畑があり、役所と学校と集会所が設けられている。

 幸いに茂作の家は東地区にあり、分家の際には親子四人が生計を立てるには十分な田畑を本家から任された。
ミツという遠縁に当たる女性を娶ることになった茂作だったが、当初はぎこちなさの残る二人だった。
しかし生来の明るさと働くことをまるで厭わない女だった。
いや動きを止めれば息絶えるがごとく動き回るコマネズミのような働き者だった。
たちまちの内に蓄えを産んだが、生活そのものは質素そのものだった。

 そしてその蓄えを本家の元に預けてしまい、茂作の自由にはさせなかった。
これから授かるであろう子どものために使いたいからとの理由を挙げられては、茂作も従わざるをえなかった。
そしてその蓄えを本家に預けるという意味が、茂作にはミツの意地だということを痛いほどに感じ取っていた。

 小夜子の父は、大衆演劇一座の看板役者だ。
大向こうを唸らせる美形役者で、女性客の熱狂ぶりは当時の新聞にも掲載された。
しかし澄江は、大衆演劇にはまるで興味がなかった。
接する機会が皆無だと言うこともありはするが、澄江にしてみれば空想の世界での出来事であり、戻って視認することもできない過去の出来事でしかない。
現代の今を生きることに精一杯の澄江にとっては、まるで興味のないことだった。

 一座がやって来るという話が出た折りには、「ぬか喜びに終わるさ」と、村人の大半は笑い飛ばした。
人口が300人にも満たない山間部の小さな村で「こんな小さな村になんか来てくれるわけがねえ」と、怒り出す村人さえいたぐらいだ。
それが本当の話だと分かった折りには「盆と正月がいっぺんに来たぞ」と大騒ぎになった。

 収穫を終えての時期に行われる祭りは、村人たちの笑顔が爆発する唯一の日だ。
そこに大衆演劇一座がやって来ることになった。その一座の座長に対し芝居が終わった折に花束贈呈の行事が組まれていた。
むさ苦しい男の花束贈呈ではなく、華やかに着飾った娘たちからのそれが良かろうと三人の娘たちが選ばれていた。
助役の娘に郵便局長の娘、そして元庄屋である佐伯家の三人だ。

当初の案では、村長と助役の二人だけだったが、犬猿の仲で或二人だけでは険悪な雰囲気が流れてしまい、場が白けてしまう。
そこで郵便局長も加えられたが、そうなると村議会の議長が「それじゃわしも」としゃしゃり出て収拾が付かなくなった。
「四人では縁起が悪いぞ」とさらに膨れ上がりそうになったために、前村長の声で、若い娘たちということに、やっと落ち着いた経緯がある。
娘のいない村長が「遠縁の娘を」言い出したが、結局は同年齢の三人に落ち着いた。

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