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敏洋’s 昭和の恋物語り
敬愛する 芥川龍之介 を語る (七)
2020年07月28日
テーマ:テーマ無し
芥川を追い越した作家と称されている三島由紀夫は、芥川のことをこう受け取っている。
「芥川の英雄否定・美談否定は、思想というより趣味の問題で、当時の浅薄な時代思想の反映である。
『手巾』という作品は、美談否定物であるが、その他に、『型』の美がある。
『南京の基督』は、谷崎潤一郎の初期作品に比べると、短編技巧では谷崎の方が粗雑かもしれないが、あの悪童が泥絵具をおもちゃにしているようなバイタリティーが感じられない。芥
川のもつ最も善く、そして彼自身軽んじていたものー軽やかさ・若々しさ・ういういしい感傷が、特に目立つのは、『舞踏会』である。」
私としては、英雄否定・美談否定が、果たして思想なのか趣味なのか、正直いってわからない。
第一、三島由紀夫の使った趣味という言葉の範疇さえ、この私には理解できないのだから。
しかし、これだけはこの研究不足の私にでも言える。
芥川は、本質的にワットー的な才能だったと思うことである。
これは、三島由紀夫著のもので読んだのだが。
「時代と場所を間違えたワットーには、実際の所、皮肉も冷笑も不似合いだったのに、皮肉と冷笑の仮面をつけなければ世渡りができなかった」
そんな意味のことがあった。
生まれついてからの複雑な芥川家の内情は、少なからず芥川の思想(或いは趣味?)に影響を及ぼしたであろう。
そしてそれが、芥川作品に底辺として流れ、いつか現れだしたのだろう。
しかしそんな中にも、彼の奥深くに潜んでいる真の心は、時折顔をのぞかせる。
『蜜柑』という作品はその一つだと思われる。
私は、あの作品を読み終えた時の何ともいえないすがすがしさを今も忘れることはできない。
そしてそれは、どんなに巧みで、しかもうまい皮肉や風刺よりも強烈な印象を与えた。
これが、前に述べたところの、強烈で純粋な一種の現実的感動だと思う。
しかし物ごとの見方には色々あって、今のようにもとれれば、又こうともとれるかもしれない。
皮肉や冷笑ばかりを書いている内に、読者は勿論自分自身までがマンネリ化し、それ程の興奮を呼び起こさなくなってくる。
そこで、自分自身の為に惹いては読者の為にも、皮肉や冷笑抜きの素直な気持ちでの作品を必要とし、あの作品を書いたのだ。
だから、作者の真実の吐露とは言い難い、と。
しかし私としては、前者をとりたいのである。
少々、主観的ではあるけれども……。
是非に、あなたに詰め寄ってでも、私はそう主張するものである。
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