ほっこり

乃木将軍と幽霊 

2020年04月25日 ナビトモブログ記事
テーマ:男もすなる日記



乃木(希典)大将と言えば、日露戦争での旅順攻略戦(二百三高地)、第3軍司令官として有名だ。
水師営でのステッセルとの会見、西南戦争の時に薩摩軍に軍旗を奪われた事、日露戦後に学習院院長として教育に力を入れたことなどがよく知られている。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」では愚将(戦下手)として描かれていているので気の毒な人だ。同小説は全巻読んでいる。
いろんな文献や記録によれば勇猛果敢な軍人としての評価も高い。西南戦争初期、薩軍優勢で本隊到着前の乃木軍の撤退戦は有名で貴重な時間を稼いだことで知られている。

この乃木将軍には意外と知られていない話が多い。

多くの鉄道で導入されている女性専用車両は明治45年(1912)に、当時、学習院院長だった乃木が鉄道院に要求した事で始まった。その頃も車内の痴漢が多く、苦情が多かったので、これを知った乃木が動いたのだった。「婦人専用車」は通学時間帯に日本初で導入された。

乃木将軍には怪談、幽霊話もいくつか残っているが、その内の一つを手短に書いてみたい。

若い頃、軍務で金沢に行き三階建ての宿に泊った。
眺めのいい3階に部屋を取ったが、夜、床は2階に敷かれていた。
彼は「今日はここでいいが、明日は3階に敷いてくれ」と頼んだ。しかし、翌日も2階に敷かれていたので、彼は怒って3階に敷かせた。
それから、うとうとしていると歳若い女性がぼ〜ぅと座っていて、蚊帳越しに顔を近づけてくるので驚いて飛び起きた。すると、消えていなくなった。そして、又寝ると現れる。その繰り返しで一睡もできずに、それが二晩続いた。
宿のおばさんに「旦那は二晩もよく寝ていないようだけど、もう今晩からは2階で寝なさい」と、意味ありげに言われ従った。

後日、かつて宿の主人が妻を3階の柱に括りつけ虐待し、妻は恨みを残して死んでいたことが分かった。

他にも山中での女の幽霊の話などが言い伝えられている。

現在も保存されている乃木さんの住居(東京都港区赤坂8丁目)の前には坂道があり「幽霊坂」と呼ばれていたそうだ。

周囲に屋敷が多く庭木が鬱蒼として昼でも暗かったからとも、坂の途中に妙福寺とその墓地があったことからそう命名されたらしい。
そして、乃木さんの殉死がきっかけで「乃木坂」と改名された。

乃木将軍は生前も死後も多くの批判の対象になってきたが、最近の研究において、真実が追究され再評価されていると言う。

私は特に乃木さんのファンではないが、幕末〜明治期を生き抜いた歴史上の人物全般に興味が尽きない。
私のお気に入りの一人は児玉源太郎。


○ 金州城外作〜乃木希典・日本漢詩朗読 0:54
https://www.youtube.com/watch?v=5rkXz_-LE6k
乃木の残した漢詩は海外でも評価が高く有名だ

○ 乃木神社と乃木の自宅〜動画 2:47
https://www.youtube.com/watch?v=bE_Mofj6pR4


※ 昨日の「ショート小話集」の閲覧、拍手有難うございます。



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なな.さんへ

ぼてふりさん

コメントありがとうございます。

児玉源太郎生涯に関する歴史書の記述を読み返したら「児島神社」の写真と説明文がありました。

後藤新平ら政財界の重鎮が発起人となり、大正10年に主要社殿が完成。造営に際しては台湾からの寄贈を多く受け、社殿は台湾阿里山の檜造り、狛犬は児玉の部下で第13代台湾総督石塚英蔵の寄進による、とあります。

私の好きな昭和の海軍提督・山口多門の若かりし頃、第1次大戦で地中海に派遣された艦隊を題材とした小説を読んだことがあります。

母が海軍軍人さんの軍装は格好良かったといつも話していました。

由比ガ浜には会社の保養施設があって、研修で宿泊したことがあります。鎌倉市内では飛び込み営業の訓練もしました。
江ノ電など懐かしいです。

2020/04/25 21:22:26

江ノ島には、、、

なな.さん

こんばんは。
ぼてふりさんは、神奈川県の江ノ島をご存知ですか?
そこに、児玉神社があります。
私も好きな児玉源太郎を祀った神社です。

そして、戦前は乃木大将の銅像も、江ノ島片瀬にありました。現在ネットで見ることができる当時の銅像の写真は、米軍が撮ったものだったはず…。
現在その場所は駐車場になり、台座だけ残っているようです。
銅像の横にあった203高地の石は、児玉神社の境内に移されました。

学習院の生徒たちは、夏は片瀬海岸で水泳の授業があったようで、乃木大将が来ていたんですね。
そして、片瀬に有る白百合女学院は、戦前は乃木高等女学院と呼ばれていたようです。


私自身は、
海軍軍人さんが好きなのですが〜(^^)

2020/04/25 20:44:43

漫歩さんへ

ぼてふりさん

コメントありがとうございます。

乃木さんは謹厳実直な性格で教育熱心な方として知られていますが、若い頃は結構放蕩三昧な生活だったようです。
学習院院長時代には生徒達と同じ食事を一緒に摂り、読書熱心だったと言います。日露戦の時、黒鳩と呼んでいた総司令官クロパトキンの著書を鉛筆で線を引きながら愛読したようでその本は現存しているそうです。
幕末〜維新を体験した、当時の政治家や軍人には気骨ある人物が多く輩出されたと思います。
ステッセルとの会見は馬に乗った姿のみが映像として残っていますね。写真はあの有名な1枚のみ。敗れた敵将への配慮から報道撮影を制限して会見がなされたそうです。

愛唱歌は私でも知っていました。誰に教わったのか覚えていません。

2020/04/25 19:26:29

愛唱歌

漫歩さん

♪ 旅順開城約成りて、
  敵の将軍ステッセル
  乃木大将と会見の
  所はいづこ、水師営

9番までありますが、3番までは今でもそらで歌えます。
母親の影響です。

懐かしくて歌いながら書きました。

2020/04/25 16:33:21

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