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敏洋’s 昭和の恋物語り

せからしか! (十九) 

2020年03月10日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



つい先夜のことだ。
「花火をするから出てこいよ」と声がかかった。
読みかけの本をホッ掘り出して出かけようとする兄に、私が金魚のふんよろしく後に続いた。
それを見咎めた父に、「近くでやりなさい」と止められた。

 しかし少年は、国道の向こう側の松林の中でやりたいと言った。
途端に父が血相を変えて「だめだ、国道を渡るなんてとんでもない」と声を荒げた。
私の自動車事故がトラウマになっているのだ。
兄に対しても「夜に道路を横切るようなことはするな!」と、平生から口を酸っぱくして言っていた。

 その因が、私の事故によるものだと知った少年が、私に対する憎悪の念を持ったとしてもなんら不思議なことではない。
私が少年に意地悪されたと主張すると「海で溺れかけている子どもに対して、そんなひどいことは誰もしない」と、皆が皆言う。
子どもは純真だ、皆がそう言う。
まれにとんでもない子どもがいるが、それは家庭環境がひどすぎるかわいそうな子どもだとも。

 しかし私は知っている。
子どもは時として、天使にも悪魔にもなる。
本能の赴(おもむ)くままに行動する生きものだ。
子どもだからこそ恐ろしいことをするのだ。

私からがしてそうなのだから。
兄がこっぴどく叱られている場面で、その因が私にあったとしても、父親の膝の上で喜んでいられるのだ。
どれほどそれが残酷な事か、相手がどれほど傷つくのか、なんら顧みることはないのだ。

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