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敏洋’s 昭和の恋物語り

春先の、あちこち美術館巡り 〜ポーラ・岡田美術館巡り〜 (三) 

2019年11月10日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



バスタ新宿での降車も二度目ともなれば、慣れたものですわ。
バスタがバスターミナルの略だとは、この時点ではまだ知らずにいましたが。
お恥ずかしい限りです、ほんとに。
どうして「パスタ新宿」なんだ? パスタ料理のビルなのか? なんて、トンチンカンなことを考えていましたよ。

これから小田急線に乗るのですが、どこにあるものやら。
しっかりと地図を確認しなかったものですから、少しまごつくことに。
ああ、ありました。
道路の向こう側なんですね、小田急新宿駅は。
横断歩道で手を上げて(なんてことはせずに)青信号で渡ります。
当たり前ですって? ご存じでした、あなた。
フランスのパリなんかでは、信号が赤でも、車が途切れた折なんかに渡ってしまうんですよ。
「合理的に考えるんです、フランス人は」なんて、添乗員さんが言うんです。
さらには「仕事でも、ピッタリ5時には終えます。
たとえその時に電話を受けていても、終業時間だとなれば容赦ないです。
ですので、相手方も、絶対に5分前には電話などはかけません」ですって。
日本では考えられないですよね。

ああ、お腹が空いてきました。
朝の軽食用にと用意していた菓子パンは、昨夜の内に食べちゃいましたからねえ。
わたしの隣で時刻表を確認している妙齢の女性がいましたので、ここぞとばかりに声をかけました。
鼻筋の通った美女−そう、キツネ顔タイプです。ほっそりとした顔立ちでした。
そう! りょうさんに似ていました。
[コードブルー:ドクターヘリ緊急救命]に、フライトドクター三井環奈役で出演されていましたよね。
「この付近に食事が出来るところはありませんかね」
「この中では……」
「どうもありがとう」と、杉下右京ばりの口調で謝辞を。
彼女に伝わりましたかね、そのことは。
ま、関係のないことですけれど。
最近は、そういった遊び心での会話が出来るようになりました。

やむなく一旦外へ。
時間ですか? 大丈夫ですよ、まだ早朝の6時過ぎですから。
おお! 向かい側の角に吉野家を発見、です。
ということは、こちらに渡る前に寄れたわけだと思わぬでもありません。
が、が、です。
そうすると、先ほどのりょうさん似の美女には逢えなかったわけだ。
そしてそして、声をかけることができなかったわけだ。
華をとるか実をとるか、悩ましいですなあ、なーんてね。

それにしても寒い! 風が冷たいです。
長袖のシャツにすれば良かったと、後悔中。
暑くなったらたくしあげるか、半袖に着替えればいいことだし。
とこぼしている内に店内へ。
早朝だというのに、三人、いや四人か。
もうお客さんが入っています。
東京人は早起きですなあ、それとも徹夜明け? 
徹夜と言えば、若い頃はよく徹夜麻雀をしたものです。
そして早朝ボーリングへと、行きましたよ。
第一次ボーリングブーム、いや第二次になるのかな? でした。

中山律子という女性プロボーラーが大人気でした。
わたしですか? もちろん大、大、大ファンでした。
ご存じでしょうに、たわしの美女好きは。





=中山 律子=
ライセンスNo.2の女子プロ1期生。
通算タイトル33勝の永久シードプロで公認パーフェクト2回。
愛称は「和製ジャンヌ・ダルク」。
1970年8月21日には府中スターレーンで行われた、テレビ朝日(当時はNETテレビ)の『レディズ・チャレンジボウル』収録中に女子プロ初の公認パーフェクトゲームを達成する。
TV中継でのパーフェクト達成のインパクトは予想を遥かに超えた社会現象を起こし、中山は「さわやか律子さん」の愛称とともに抜群の美貌と人気を誇り、花王のフェザーシャンプーのCM等に出演し一大旋風を巻き起こし、CM曲の「律子さん、律子さん、さわやか律子さん」は流行語となった。
女子プロボウラーは数多くあれど、中山は後に至るまで史上最強の女子プロと呼ばれ、同期の須田らと共に爆発的なボウリングブームの立役者となった。
また全盛期の中山は所属先である「東京タワー」の文字が書かれたボウラーシャツを着ており、それが中山のトレードマークとなっていた。
−−−−−−−−−Wikipediaより

映像を見つけました。
[中山律子・優勝! 1979JLBCオープンプリンスカップ]で、検索をどうぞ。

話が逸れちゃいました。
今日はここまで、ということで。

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