メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

パトラッシュが駆ける!

目尻病 

2019年07月27日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

テレビから、さだまさしの歌声が流れ始めた。
「しあわせを ありがとー」 
「ぬくもーり 届きましたー」
私は、このメロディを聞いただけで、少し落ち着かなくなる。
今風に言えば「やばいな」ということになる。

私の見るテレビは、限られている。
ニュース、そしてサッカー中継くらいであり、
世間の皆様が好まれる、ドラマやバラエティ、歌謡番組を見ない。
僅かな例外がNHKの朝ドラだ。
これを見ながら朝飯を喰らうのが、我が家の習慣であり、
それが長年続いたことにより、今や歴史的慣例となっている。
朝食は簡素だから、朝ドラの十五分と共に終わる。
我が家では、だから、朝飯ドラマと称している。

もう一つの例外が、月曜夜の「鶴瓶の家族に乾杯」だ。
これは晩酌の後だから、くわえ楊枝で、陶然と見る。
落語家の笑福亭鶴瓶が、土瓶に目鼻を描いたような顔で現れる。
笑みを浮かべ、見知らぬ町をさまよい歩く。
そこで出会う、町の人々との語らいが楽しい。
人間というものは、多かれ少なかれ、
その身にそれぞれの物語を内包している。
鶴瓶が、その独特の親和性を武器に、
人々のヒューマンドラマを、聞き出して行く。

笑いあり、涙あり……
これを紀行番組と呼ぶかどうか……
私は「ハプニング番組」と呼んでいる。
冒頭の、さだまさしの歌は、この番組のテーマソングとなっている。
私は、番組の中での、笑いと涙を予感し、
始まる前から既にして、目尻に催すものがある。

今回の朝ドラは「なつぞら」であって、
北海道の牧場から物語が始まった。
ヒロインは、戦災孤児となり、父のかつての戦友に拾われ、
はるばる十勝の地へ来た。
牧場には、ひと癖あるジイサマが居て、それが一家の長であった。
他の家族がヒロインに対し、親身に接するのに対し、
そのジイサマだけが、傲然としていた。
「働け」
「はい」
ヒロインは、彼の命ずるままに、乳牛への餌やりなど、
牧場の雑役に従事した。
その甲斐甲斐しいこと。
この子役がよかった。
幼いながら、その目に力がある。
それはつまり、気概があるということだ。
この少女を見る度に、つい涙腺が緩んでしまった。
一度決壊してしまえば、もう、氾濫を押しとどめる術がない。
私は「なつぞら」の初期、朝飯を食べながら、涙ばかり垂らしていた。

どうもおかしい。
以前はこんなことがなかった。
仮にあふれ出たとしても、周囲の筋肉を引き締め、
自らの意志で、氾濫の拡大を防ぐことが出来た。
今は、それが難くなっている。

なつぞらのヒロインが、東京に出て、
アニメの世界で活躍するようになった。
私が決壊で悩まされることは、もうないだろう。
と思っていたら、予期せぬことが起きた。
生き別れになっていた、妹の登場だ。
この妹もまた、戦後の混乱期を生き延びる過程で、
複雑なる事情を抱えることになった。
姉と妹、互いにその身を思いやる、これを真情というのだろう、
視聴者の胸を打たないわけがない。
私もまた、打たれている。
これはドラマと知りつつ、易々と打たれている。

私は既にして、病気かもしれない。
医者にはかかっていないが、私にはわかる。
病名は、涙腺不全症候群であって、これがもう、
手の施しようがなくなっている。
特に右目がいけない。
食卓では、私の右側に妻が居る。
目尻から溢れんとする水分は、彼女の視野に捉えられているはずだ。

しかし妻は、テレビの方を向いたままでいる。
多分「武士の情け」のつもりであろう。
亭主のやつ、また始まった。
でも、それを言えば面子を潰す。
それで私の方を、見ないようにしている。
と私は思っている。

目尻に溜まった、余水を取り除こうとして、指をやる。
これがいけない。
気付かれる元だ。
さりとて、放置すれば、周辺に水害が及ぶ。

良いことを思い付いた。
これを逆用すればいい。
何かにつけ、目尻に指をやる。
私には、そういうクセがある。
と敵に思わせてしまえばいい。
それからというもの、私はニュースを見る度、
サッカーを見る度に、目尻に指を運ぶようにしている。



拍手する


コメントをするにはログインが必要です

PR





上部へ