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パトラッシュが駆ける!

こいつぁ春から 

2020年01月25日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

「○月△日、おヒマはありますか?」
こう尋ねられたら、用心しなければいけないと、
山口瞳さんが何かの本に書いていた。
「はい」
うっかり答えると、厄介なことになる。

「××の会に、ご出席頂きたいのですが」
その××に対し、気が進まない。
断わりたいのだが、ヒマはあると言ってしまった。
切り札を先に、取られてしまった感がある。
「うーん、それは……」
理由を見つけ出し、言葉を選び、
相手を納得させなければならない。

「何度も、ひどい目に遭った」
と述懐しておられたところを見ると、もしかすると山口さん、
断わり切れなかったのかもしれない。
渋々出席し、憮然たる時を過ごした。
ということが考えられる。

そんなことを、何度か経験するうちに、山口さんも用心深くなった。
返事を保留し、逆に「何で?」と用件を先に聞くようになった。
のではないかと、私は想像している。

機先を制し「ないよ」と一声、断わってしまうのも、
一つの方法だ。
しかし、釣り逃がした魚は、大きいと言うこともある。
後に、それが興味深い遊びや、催しだったと知り、
臍を噛むことにもなりかねない。
山口さんは、小説家であり、随筆家でもあり、
ネタはいくらでも欲しかったであろう。
無碍には断れない。
そこを見透かしたように、相手もまた言葉巧みに、
山口さんを攻めたと思われる。

私も素人ながら、雑文書きに明け暮れている。
ヒマもたっぷりとある。
ネタに飢えてもいる。
山口さんが「ひどい目に遭った」催しでも会合でも、
私だったら、そこで見るもの聞くもの、
全てが新鮮で、興味深いであろう。
出席して「失敗だった」と思うことは、多分ないであろう。
皮肉なもので、こう言う人間には、滅多に誘いがかからない。

 * * *

だからS子さんが「先生、明日おヒマはありますか?」
と言った時、私はすかさず「はい」と答えた。
翌日が水曜日で、近くの小学校の、
クラブ活動の日であることを、すっかり忘れていた。
「急な話なんですが、これが余っておりまして」
S子さんが、チケットを二枚差し出した。

「え」列の「五番」そして「六番」とあるからには、
劇場であろう。
これが映画館なら「A−5」と言う風になる。
浅草公会堂とあるからには、歌舞伎であろう。
これでも、芝居には、ちょいとうるさい方だ。
浅草での新春歌舞伎は、もう恒例となっている。
尾上松也を初めとする、若手役者がずらり出演することを、
私はとうに知っている。

「一等席でしょ、これ。安くないですよ」
「いえ、招待券です。頂いたのです。
でも、私は用事があり、行かれないのです」
「それで私に?」
「奥さまとご一緒にどうぞ」
S子さん、そつがない。
先生はおヒマでしょうから、とは言わない。
「ガールフレンドとでは、いけませんか?」
「うふふ。まあ、いいでしょう」
そんなもの、この私に居るわけがないと、その目が笑っている。

私は、品性に卑しいところがあり、実を言えば、
ものをもらうのが好きだ。
酒が最も喜ばしい。
芝居のチケットもいい。
但し、新劇はだめだ。
歌舞伎がいい。
歌舞伎座なら、さらにいい。
その一等席招待券ともなると、私の常飲酒である
「八海山」の一升瓶を、十本もらったくらいの価値がある。
浅草公会堂なら、五本くらい。
それでもいい。
ほぼ一ヶ月、飲めや唄えで暮すことが出来る。

私は先ほどから、小躍りする雀のような気分になっている。
気分だけである。
それを表に出してはいけない。
これでも、先生だ。
「武士は食わねど高楊枝」と言うように、先生もまた、
些細な利益供与に対し、超然としていなければいけない。

S子さんが帰り、十分ほどしてアッと思った。
「午後の部」「三時開演」それも明日……
ものの見事に、私の公務と重なっている。
どうしよう……
急ぎ、妻と相談した。
「学校、休んじゃえば……」
人の事だと思って、気楽に言う。
それが出来れば、苦労はない。
私の背後には、三十人からの生徒が居る。
さらに今回、一年生の新入部員が二人あり、
それに手ほどきをしてほしいと頼まれていた。
私が行かなければ、新入生だって、困るであろう。

「あーたの友達を誘いなさい。そうして二人で行きなさい」
妻に言った。
この際、私は公務に専念し、芝居は妻に譲ろう
恩を売っておく意味もある。
「芝居に行かせてやった」その事実が、
後に、私の立場を利することもある。
他家は知らず、我が家では、亭主の行動の自由が、
必ずしも確保されていない。
その緩和を目論んでいる。

「Y子さん用事があるんって。I子さんも無理だって……」
妻が眉を曇らせている。
一旦は引き受けたものの、連れが見つからないようだ。
皆さん忙しいらしい。
考えてみれば、無理もない。
今日の明日であり、これに応じられるのは、よほどのヒマ人だ。
さあ困った。
歌舞伎のチケットが、宙に浮いている。

そんなもの、捨てればいい。
というのは、懐の広い人だ。
物欲を超越している人だ。
私は吝嗇であり、小人物であり、それが出来ない。
それで困っている。
             (次号に続く)



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窮余の策

パトラッシュさん

まはろさん、
窮すれば通じる。
何とかなるものですね。
今、続きを書いています。
月末にかかり、少々忙しいです。
多分、書き上げられると思いますが……

2020/01/25 13:26:24

次号楽しみ

まはろさん

パトラシュさん

どの様に切り抜けるか楽しみです
早く知りたいわ(笑)

2020/01/25 09:16:52

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