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パトラッシュが駆ける!

世捨て人 

2020年02月15日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

私は一日のほとんどを、一階の囲碁サロンで過ごし、
日に三度、飯を食う時だけ、三階の住居に上がる。
ダイニングキッチンに入ると、テレビが付けっ放しになっている。
妻は器用な人で、その顔を調理台に向けつつ、
背中でテレビを見ている。
うふふ……突如として、笑い声が響いたりする。

私は徒食人のようなもので、居間のテレビに関し、
チャンネル権はない。
食事中、そして食後の一服を喫しつつ
(茶です)(煙ではありません)
これを見るともなしに眺めている。
朝、そして昼間のテレビは、ワイドショーばかりやっている。

世間の耳目を集めるニュースを取り上げ、これを深掘りする。
それがワイドショーの使命のようだ。
MCという役割の者が居て、これが司会進行をやっている。
当意即妙の話術が求められ、誰でも出来るというわけではないようだ。
議論の方向を示し、次の発言者を指名するなど、権限もある。
気の利いた芸能人なら、誰しもやってみたいのではあるまいか。
私だって、仕切るのは好きだから、やってみたい。
しかし、舌の回転が悪いから(脳もだが)多分無理だろう。

MCに呼応する形で、コメンテーターが数人、
雁首を並べている。
いわゆる「識者」と目される人々である。
例えば弁護士、これは例外なく加わっている。
トラブルがあれば、そこに法律問題が絡むのは、必至だからだ。
医師も加わることが多い。
昨今話題の、新型コロナウイルスの場合、感染症の専門家など、
各局の奪い合いになっていると思われる。
岡田晴恵さんなんて名を、今回初めて知った。
大学教授であられる。
おや、今度はこの局で……
その彼女の顔を、日に何度も見ることになる。

「評論家」と一口に言っても、政治・経済・外交・軍事など、
様々な分野に、それぞれの適任者がいる。
事件により、警視庁の元刑事なども登場する。
変ったところでは「皇室ジャーナリスト」なんて人も居る。
「何でもござれ」という評論家は、便利なようで、
逆に歓迎されないのかもしれない。

芸能人が、コメンテーターに加わっていることもある。
一般人の代表という立場で、意見を述べるのであろう。
但し、傾聴に値するような意見は、ほとんど聞かれない。
「健康な乗客を、船内に留めおくなんて、話が逆ですよ。
ウイルス感染者こそ、船から出さずに隔離し、
一般の乗客はさっさと解放すべきです」
問題の本質を、よく分かっていない人も居ないではない。

折しも、毎日新聞川柳欄に、こんな句を見た。
「芸人のコメント要らぬニュースショー」 (グランパ)

人を笑わせるのが得意だからと言って、
必ずしも見識が豊かなわけではない。
彼らが呼ばれるのは、一にかかって「賑やかし」つまり、
視聴率のためであろう。
長嶋一茂や石原良純などの、二世タレントが居る。
喋るの上手いなあ……さすがに場馴れしているなあ……
と思うことはあっても、なるほどなあ……と、彼らの言説に
深く頷くことはない。

それどころか、見ていると、次第に虚しくなってくる。
化粧の濃い女が居て、実はあれは、男なのだと知らされたりする。
顔中に派手な色彩でもって、粉飾を施した男がいる。
真っ赤なブレザーを着て、頭を金髪にしている男がいる。
私は、それらを見ているだけで、胸くそが悪くなってくる。

茶を飲み終えるや、私は席を立つことにする。
次のメシまでの数時間、私はこの世から、
身を隠そうと思っている。
一階の囲碁サロンへ行く。
ここにもテレビはあるけれど、私がそれをつけるのは、
ごく限られている。
スポーツ中継、囲碁将棋、落語などの演芸、
そして紀行番組などに限られる。
今日は一日テレビをつけなかった……なんていう日もないではない。
私は、この世から、遠いところに居る。
このまま行くと、世捨て人になってしまうであろう。

 * * *

これではいけない。
と言うこともあり、私は、幾つかのSNSに加わっている。
しかし、一二を除き、ほとんど活動をしていない。
眺めるだけ。
情報を得るだけ。
何かの事件に対する、世の中の反応を見るだけ。
と言ってもいい。

つぶやきとは、小声でぼそぼそと喋ること。
であったはずなのだが、最近は少し意味が違って来ている。
「端的に本音を述べる場」へと変わっている。
その最たるが、米国の大統領閣下であり、その語るところは、
感情の赴くままであり、そこに知性や理性を感じることが出来ない。

誰にも、自分の考えを披歴したい欲求がある。
つぶやきとは、そのためのはけ口なのかな……と思ったりする。
しかもSNSの場合は、それを仮名でやる。
「豪華客船に乗るくらいの人は、裕福なはずだ。
たまに不自由を味わうのもいいだろ」
なんてことを言って憚らない。
「火あぶりの刑にしろ」
ある大量殺人事件の被告に対する、罵詈讒謗である。
怒りに任せ、法律も何もありはしない。
私は一瞥し、退散することにしている。

そこへ行くと、テレビのワイドショーの方が、まだました。
さすがに、公共の電場を使っているだけのことがある。
SNSほどの極論はない。
私は、変なところで感心している。

新聞はもっとましだ。
抑制が利き、極論に奔るということがない。
弱者への視線を忘れず、一方で、権力に対しては、
そこに濃淡の差はあるものの、一定の批判はする。
しかも、拾い読みが出来る。
今や、世捨て人となりつつある私の、社会との接点となっている。
新聞を読まなくなった時、それは私の死期が近いと思われる。



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